猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
行きに通ったときより格段に明るくなった廊下を連行されるように歩き、自室の扉をくぐる。暖炉の火が強められ、室内は過剰なくらいに暖められていた。
グレースはラルドに促され、長椅子に腰を下ろす。彼も肘掛けのついたひとりがけの椅子に座って背にもたれかかると、薄く瞳を閉じていた。

独りでいたときよりも重苦しい静寂を、香辛料と甘味を足して温めた葡萄酒を運んできたドーラが破ってくれたことに、グレースは内心で感謝する。しかしその彼女も、杯を置くとすぐに部屋から出て行ってしまった。

再び落とされる沈黙。気まずさを紛らわすために杯を傾け続ける。外からは暖炉の炎が、内側からは若干弱まった酒精が、冷えたグレースの身体を温めてくれた。
無言で呑み進めた結果、それほど時をかけずに杯は空になってしまう。グレースはまだ酒を舐めているラルドを盗み見て、機嫌を窺っていた。

「呑み足りませんか?」

視線に気づいた彼に訊ねられ、慌てて酒気と暖気とその他で上気した顔を逸らせて、首を横に振る。ことりと杯を卓の上に置いたラルドが、おもむろに口を開いた。

「近々ヘルゼント領の国境まで赴く予定があるのですが、よろしければ一緒に行きませんか?」

グレースは逸らしたばかりの顔を驚きに変え、ラルドに向ける。

「わたしもついていっていいの?」

「雪も消えましたし、一度くらいは貴女に領地をお見せしておかなくてはと思ったのですが」

王都から出たことがないグレースは、いきなりの辺境にあるヘルゼント領までの旅に思いを馳せ興奮する。喜色に染めた瞳を輝かせ、二つ返事で同行を了承した。

「では、出発の準備をしておくようドーラたちに伝えておきましょう」

立ち上がり部屋から去ろうとするラルドを、グレースが呼び止める。

「あの……。今夜は、本当にごめんなさい」

羞恥をごまかすように手の中にある空の杯を弄び、俯いたままようやくそれだけを絞り出す。進行方向を変えたラルドのつま先が視界に入り、ほんのりと温かい手の平がグレースの頬に触れた。その手がそっと彼女の顔を上向ける。

「もう、二度とあのような危ないまねはしないでください。万が一のことがあったら、僕は王宮に上がれなくなってしまいます。貴女は大切な……」

酒が追加され一層艶めいた青い瞳が、なにかを躊躇うように揺れて言い淀む。その理由を、グレースは自分の言動のせいだと悟った。

「そうね、軽率だったわ。こんなわたしでも、この家にとっては貴重な『血』なのでしょう?安心して。もう夫を拒むようなことはしないから」

偽りでも、仮初めでも。ラルドの妻でいる間は、傍らに添えることだけに満足しよう。太陽神にだって数多の妃がいる。そう考えれば、たとえ糸のように細い月でも妻は妻だ。
グレースは覚悟を決め、精一杯の虚勢で笑顔を作った。

それなのに、ラルドは眉間に深くシワを刻む。ふうっと息を吐き出し肩を下げたかと思うと、屈んで顔を近づけてきた。
息を止め固く瞼を閉じたグレースの額に、ほんの一瞬だけ温かく柔らかな感触が触れ離れていく。

「おやすみ、グレース。温かくして眠ってください」

ゆっくりとグレースが目を開けたときにはすでに、ラルドは背を向けて扉から出ていくところだった。

扉が閉じられると同時に、グレースは指先で額に残るラルドの微かな痕跡をなぞる。
それは、いままで身体中に散らされたどの痕よりも熱く感じられた。


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