猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「お帰りなさいませ。奥様」

初めて訪れた彼女をそう言って出迎えた声は、やや低く落ち着いたもの。腰をきっちりと折り下げていた頭が、ゆっくり戻され現れた顔を見て、グレースは声を上げそうになった。

「ドー……ラ?」

王都の屋敷でジムを預かっているはずの侍女頭かと見間違うほどよく似ている。だが、その一筋の乱れもなくまとめられた髪の大半が白く、眉間や目尻に寄るシワは一層深い。あきらかにドーラよりも年配である。

「長旅お疲れ様でございました、グレース様。こちらでのご滞在中、奥様の身の回りのお世話をさせていただくカーラと申します。よろしくお願いいたします」

『お辞儀のしかた』という教本があったら、きっとこう書かれているのだろうというくらい整った礼をとる。グレースの後ろに控えていたマリが慌ててぴょこんと頭を下げたが、その差は歴然だった。

「都にいるドーラは私の姪でございます」

館内を先導しながら、疑問を顔に浮かべるグレースが問い質すより先に、カーラは己の身分を明かす。

「長く伯爵家でお世話になっておりました。一年ほど前に妹とともにお暇をいただいたのですが、この度は奥様がいらっしゃるとのことで、王家の方のお世話に慣れている私にと坊ちゃ……旦那様からお声をかけていただきまして」

「まあ、わざわざ?」

「はい。この屋敷には長きに渡り主筋の女性がいらっしゃいませんでしたので」

生前ラルドの母はほとんど領地を訪れることはなく、姉のルエラがここからいなくなってからも、すでに二十年以上経っている。不慣れな場所で、マリひとりにかかる負担を考えての気遣いというわけだ。

「けれど、王族の世話に慣れているとは?」

カーラは「それは」と少しだけ寂しそうに、眉を僅かに歪めた。

「ずいぶん昔に、王宮にてロザリー様にお仕えしていたことがありました。その後はフィリス様とともにこちらへ」

「そう、だったの……」

仕えていた自分より若い主を相次いで亡くすのは辛い。赤子のときから面倒をみていたフィリスの十八という没年齢を慮れば、哀しみは尚更だ。だがカーラは眉間のシワをふわりと解いた。

「実を申し上げますと、グレース様にも王宮で幾度かお目にかかっているのですよ」

思わぬことを告げられグレースは古い記憶をたぐり寄せてみるが、カーラのことは思い出せない。

「覚えていらっしゃらないのも当然です。とてもお小さい頃でしたので」

彼女の言うことももっともだ。年齢のこともあるが、人の多い王城で、数回会っただけの他人付きの侍女までいちいち覚えていられないのが日常である。
それなのにグレースが妙に罪悪感のようなものを覚えてしまうのは、カーラの眼が娘か孫を見るように柔らかくなったせいかもしれない。
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