猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
「遅くなってすまない」

年季を感じる扉を開け入ってきたオルトンを迎えようと腰を上げたグレースは、挨拶どころか瞬きも忘れ立ち尽くす。まくり上げていたものを下ろしながらやってきた彼の袖口は、薄く土埃に汚れていた。

「大旦那様、せめてお着替えをされてから……」

カーラの渋面を片手を上げて制し、オルトンはグレースに向き合う。

「ようこそ、ヘルゼント領へ。この様な身なりで申し訳ないが、また畑に戻らなければならないので、失礼してもよろしいですかな?」

グレースの記憶にあるヘルゼント伯オルトンは、いつも隙のない完璧に整えられた格好で王宮を悠然と闊歩していた。辺りを威圧する鋭い眼光は近寄り難い雰囲気を醸し、正直を言えば、幼いグレースにとって、兄に匹敵するほど苦手な存在だったのである。

それが、旅路で目にした農民のような格好をして現れたのだがら、グレースの驚きは相当だ。

「……本当に畑仕事をなさってらっしゃったのですね」

再会の挨拶もそこそこに、厳格な印象を抱いていた義父に対する率直な感想が零れ落ちてしまう。そんな彼女に、オルトンはいままで見たこともないような、柔らかな表情で応えた。

「それくらいしかすることがないのですよ。あまりに何もないところで、驚かれたでしょう?」

薄く日焼けした顔に刻まれたシワは王都にいるころに比べずっと増えたが、以前よりも血色が良い。オルトンは義理の娘となった王女に椅子を勧めて、自らも服の汚れを気にせずに腰を下ろした。

「婚礼の時以来ですから、もう半年以上経ちますか。都の皆は変わりなく?」

「ええ。ご無沙汰してしまいましたが、お義父様もお元気そうで安心しました」

秋の終わりに行った結婚式のときは、彼も新郎の父らしく正装に身を包んでいたので、これほどの変わりように気が付かなかった。だがグレースにとってはこちらの方が、『父』としてずっと親しみをもてそうだ。

「グレース様に義父と呼んでいただける日がくるとは。歳もとってみるものですな」

「わたしも、貴方をお義父様と呼ぶようになるとは予想もしていませんでした」

流れた年月のうちに変わった状況を、お互いにおかしく思う。

「アレはいつこちらに来るのでしょうか」

香茶がなくなった白磁の器を置いたオルトンが、思い出したようにグレースに訊く。

「さあ?詳しいことは聞いていません」

口元に薄い笑いを張り付かせ、白い花に視線を落とす。ラルドとはあの屋根騒動の後も寝室を別にしていたし、城から戻ってこない夜も度々あった。それに国賓とも呼べる使者の旅程を、身内とはいえ簡単に漏らすべきではないことはグレースも重々承知している。

「そうですか。まあ、ここにはなにもありませんが、時間だけは十分過ぎるほど余っていますので、ゆっくりなさっていってください。――では」

その出で立ちとは不釣り合いなほど優美な礼をとって、オルトンは外の作業に戻ってしまった。



< 73 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop