好きにならなければ良かったのに

 美幸を待合室で待っていた青葉は、診察室から出て来た美幸の様子が尋常ではない事に珍しく表情を曇らせる。
 どんな時でも冷静に表情を変えることなく仕事をしていたつもりだが、流石にデリケートな部分の診察なだけに、青葉も少しは神経質になっている。

「奥様? 大丈夫ですか?」

 青葉に声をかけられても無反応な美幸は、呆然としたまま待合室へと戻り一番近いソファへと腰を下ろす。
 美幸の顔色の悪さに妊娠ではなく何か良くない病気でも見つかったのかと、青葉は思わずそんな考えを起こす。

「……奥様」

 座る美幸の傍へとやってきた青葉は美幸の隣へ腰を下ろす。俯いたまま顔を上げようとしない美幸を見てどう対応すればいいのか少し困った顔をする。

「大丈夫ですか?」
「社長には、お義父様には言わないで欲しいの」

 美幸の様子からは想像がつかない程のハッキリとした声が返って来る。とてもしっかりとした強い声だけに青葉は返事に困る。

「ですが、それが私の仕事ですから」
「あなたの仕事は私を病院へ連れて行くこと。それ以上は、私達のプライベートまで立ち入ることは私が許さない」

 顔を上げた美幸は、さっきまでの弱々しい表情をしていない。気分が優れずに弱っている様子もなく、診察室から出て来た時の呆然とした顔もしていない。
 まるで別人のように隣に座る青葉に鋭い瞳を向ける。

「大事なことなの。これは私と幸司さんの口からお義父様へ報告します」

 美幸の凛々しいとも言えるその態度に青葉は返す言葉が見つからず、ただこの時は口を噤んでいるだけだった。

「返事がないのは私の言い分を聞き入れて貰えたのだとそう解釈します」

 美幸の堂々たる態度に青葉はたじろいでしまいそうになるが、逆にそれが頼もしくも感じる。やはり大石部長の娘なのだと感じいる。

「車を回してきます。奥様は玄関前でお待ちください」

 冷ややかな声が返ってくると思った美幸だが、青葉はとても優し気な口調でそう言う。その言葉を聞いた美幸は安心すると、一気に疲労困ぱいした様な重々しい体を感じる。それは、お腹に子どもを授かったからなのか、それとも、精神的なものなのか。
 これからの事を考えると何もかもが苦痛に感じてしまう。

 本来ならば喜ぶべき妊娠を、何故ここまで悲しまなければならないのか。
 幸司と結婚しこれ程複雑な思いをしたのは初めてではないかと美幸はそう感じていた。

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