好きにならなければ良かったのに

「静かにしていただけませんか? 夫は今眠っているんです」

 美幸は自分にできるささやかな抵抗と思ってそう言う。幸司が愛しているのなら晴海をここから追い出せないし、これ以上揉め事を起こすのも避けたい。
 今は言い争うよりは幸司のそばに静かに寄り添った方が良いと、美幸にはそう思えたのだ。

 しかし、晴海はまるで五月蝿い邪魔者は出ていけと言われている気分だった。あの時、書庫で幸司に言われた言葉が頭から離れず悔しさだけが込み上げる。

『あんな名ばかりの妻なんて必要ないわ。これまでそばにいて支えてきたのは私なのよ。なのにあの女を選ぶの? まさか、あの女を愛してるなんて言わないわよね?』
『ああ、愛してる』
『私だって幸司を愛してるわ』
『俺だって晴海のことはずっと大事に思って来た。……お前を裏切った罪悪感で今日までやって来たが、俺は美幸をこれ以上裏切りたくない。俺は美幸と生涯を共にすると誓ったんだ。美幸だけを愛すると』

 あの書庫での出来事が嘘の様に晴海の脳裏に蘇る。あの時の幸司の顔を思いだすと晴海は苦痛で胸が締め付けられそうになる。しかし、目の前にいるのは正真正銘の夫婦であり晴海には手の届かなかった妻の座だ。
 それをやすやすと手に入れた美幸が恨めしくもあり憎くもある。

「幸司はね私がいるのにあなたと結婚したことを後悔していたわ」
「……」

 その言葉の真相を知るのは幸司のみ。だから、美幸は幸司からその言葉を聞くまでは信じないし、信じたくなかった。やはり、どんなにこの目の前の女に幸司の心が奪われているとは言え、幸司から直接聞かされない以上、何も信じたいとは思えなかった。

「今日はお見舞いありがとうございました。あなたが来たことは夫には後で伝えておきます」
「自分がいつまでも妻の座にいられるとは思わないことね」

 ベッドに寝ている幸司を気遣おうとしない晴海に、美幸は妻の威厳を振りまいて追いだしてしまう。怒り任せにドア開けた晴海には美幸は少し胸がチクリとしたものの、眠っている幸司の為にはこの方が良かったのだろうとそう思いながら出て行く晴海の後ろ姿を見ている。

「ごめんなさい。勝手にあなたの愛する女性を追いだしてしまって。ごめんなさい」

 美幸は自分の想像以上に自分が嫉妬深い女だとこの時気付いた。本来なら、幸司の愛する女性が幸司を心配してきたのだから、ここから出て行くのは自分なのにと思いながらも。一度は病室を出たが、やはり今の幸司の妻は自分なのだからと戻って来た。そして、幸司が目覚めた時、やはりこの人の傍を離れたくないと、そんなやるせない気持ちにさせられた。

「幸司さんを愛してるの」

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