好きにならなければ良かったのに

 その後、美幸と幸司は、両方の親の許へと挨拶に行きこれから家族が増えると報告をした。美幸の父親である大石部長の経過は順調で、末期と言われた病気ではあるが今すぐに命に関わると言う一大事にはならずに済んでいる。まだ油断はできないが一先ずは安心出来ているようだ。

 そして、美幸は会社をまだ退社扱いになっておらず、あれ以来ずっと欠勤扱いになっている。特別入社した美幸はこの欠勤も特別扱いにされていて解雇にはなっていない。
 そんな曖昧な状況のまま在籍するわけにもいかず、営業部一課の皆に迷惑をかけてしまった謝罪をする為にも営業部へと出かけた。

 営業部一課へとやって来た美幸の妊婦服姿を見た社員らは一同目を丸くして呆然とした目をする。勿論、事情を知っている吉富や晴海、相田は別として。
 特に戸田は美幸の妊婦服姿に驚きを隠せずに、美幸の傍へ駆け寄ると足の爪先から頭のとっぺんまで舐めるように見る。

「吉富さん! 大石さんが妊婦さんに変身してますよ!! え? どうしたんですか? その格好は」
「バカか、光彦。見れば分かるだろ、妊婦服着ているんだから妊婦なんだよ」
「でも、大石さんって独身でしょ? あ、彼氏がいるのかな?」

 美幸は一度も自分の事を独身と言わなかったと思っていたが、いつか、そんなセリフを戸田の目の前で言ったのだろうかと、ふと考える。しかし、記憶にない美幸は首を横に振っている。

「え? 大石さんって独身じゃないの?」
「戸田君、私の妻に何か用か?」

 美幸を舐め回すように見続ける戸田の背後から幸司が鬼のような顔をしてやって来る。

「え? 課長……今、なんて?」
「美幸は私の妻だ。妻に近づくんじゃない」

 そう言うと、美幸に今にも触れようとする戸田の腕を掴んで引き離す。そしてさりげなく美幸の前へと立つと、他の社員の視線から美幸を隠そうとする。

「なるほど、課長の奥さんだからあんなに牽制してたんですね。納得しましたよ、課長」

 苦笑しながら香川がそう言うと、幸司は困ったような顔をしながら「いや、それは違うぞ」と言い返そうとするも、香川はまるっきり幸司の良い訳など聞いていない。

「ビックリしたわ。課長ってその……だと思ってたから」

 晴海と仲の良かった梅沢は、てっきり課長の交際相手は晴海と思っていただけに、意外な展開にどう反応して良いのかを悩んでいる。梅沢が晴海を横目でチラリと見ると、晴海は何故か吉富の隣に立っていて、まるで寄り添っている様に見える。

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