好きにならなければ良かったのに

 涙がおさまるまで抱き締めてくれていた幸司に、美幸は不謹慎にも幸せを感じた。例え同じベッドに眠っていたとしても、抱き締められたまま朝に目覚めたとしても、少しも満たされることなど無かった。

 なのに、今の一言で美幸は天にまで登りそうになるほどに喜びを感じてしまう。例えそれが嘘偽りの言葉で、父親が入院したから同情で言ってくれたとしても、美幸には嬉しかったのだ。

「私なら大丈夫よ。それで、お父さんの病院へは」

 立ち上がろうとするが、美幸の足元は覚束無い。このまま一人で病院へは行かせられないと、幸司は美幸と一緒に病院へ行くことを決めた。

「俺も一緒に行く」
「気にしないで、私なら」
「一人で行かせられないだろう。そんなフラフラして、お前の方が心配だ」

 これまで冗談でも聞かされたことのないセリフに美幸は余計に涙を流す。幸司にそんなセリフを一度でいいから言われてみたいと思っても叶うことなどないと思っていた。

「何で泣くんだよ?!」
「だって、優しいから」
「は?」
「幸司さんが優しいから」

 美幸の言葉に目を丸くした幸司は、それほど自分は美幸に酷い態度を取っていたのだろうかと、日頃美幸に悪態をついていた自分を知らずに驚いている。

 確かに、恋人だった晴海とは別れないと、新婚旅行から戻った日に美幸に宣言した。愛しているのも晴海だと言い放った。そんな過去を思い出すと、随分と酷い夫だったのだと、美幸を辛い目に逢わせた罪悪感に苛まれる。

「今まで悪かったと思っているよ。これからは美幸の良い夫になるように努力するよ」

 急な予想外の展開に、それも、いきなり優しい夫に様変わりした幸司に、逆に気持ち悪く何か魂胆が有るのだろうかと、美幸はそんな疑いを持ちそうになる。幸司を信じても良いのだろうかと悩みながらも、嘘偽りの言葉でも嬉しかったその優しさにすがってみたくなった。

「だから、美幸……」
「うん、優しい幸司さんでいて」

 涙目ながらに、にっこり微笑む美幸を見て、幸司はホッと胸を撫で下ろす。

「朝食を取ったら一緒にお義父さんの病院へ行こう」
「うん、ありがとう」

 美幸の頭をクシャリと撫でた幸司は立ち上がると、美幸に手を差し伸べる。その手を掴んだ美幸は、幸司に引っ張られ立ち上がり微笑み返す。

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