神様修行はじめます! 其の五
 目の中に水が入ったのか、やたらパチパチと瞬きしていたお岩さんが、急にハッとした表情になった。


 そして大きく両目を見開いたまま、身動きもせずに宙の一点を凝視している。


 あたしも同じ方向を見たけれど、お岩さんの目線の先には何もない。……お岩さん? いったい何を見ているの?


―― ボロボロ……


 あれほど煩かった九尾の赤ん坊の泣き声がピタリと止んで、代わりに何かが崩れる音がした。


 振り向けば、九尾の体が砂のように脆く砕けていく。


 そして白い靄になって、そのまま空気に紛れて消えてしまった。


 九尾は、水絵巻によって現代に蘇った。依り代の水絵巻本体の力がなければ、この世に存在できないんだろう。


 同時に、開きかけていた『道』から発する濁った空気や黒い煙が、どんどん収束されていく。


 広間中を覆っていた異様な光もみるみる小さく萎んでしまって、鉛を装着していたみたいな体の重みも、それにつれてグンと楽になった。


「触媒となっていた九尾の体が無くなって、『道』を開けなくなったようだ」


 門川君がそう言って、印を組んでいた両手を離してしまった。


 青息吐息だった術光が、息を吹きかけられたロウソクみたいにパッと消えてしまう。


「永久、本当に術を解いて大丈夫なのか?」


 不安そうに確認する絹糸に、門川君がうなづいてみせる。


「ああ。『道』が勝手に閉じていく。もう僕の力は必要ない」


 そ、そうなの? それは良かった。


 命も助かったし、世界も助かったし、良かった良かった。


 うん、ものすごく良かった、とは思うんだけど……。


 あたしはヒキガエルみたいに床にへばり付いていた体を起こして、おそるおそる周りの様子を確認した。


 絹糸も、門川君も、なにも言わずにお岩さんを見つめている。


 正確に言えば、お岩さんの足元を。


 もっと正確に言えば、お岩さんの足元で粉々に砕けている水絵巻の残骸を。


 …………。


 ねえ、これって……。


 やっぱりマズイんじゃないか、な?
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