神様修行はじめます! 其の五
「なぜです?」


 パニック状態でオロオロと視線を泳がせていたら、重々しい空気を破るように地味男が口を開いた。


 その声には『まったく理解できない』とでも言いたげな驚きと、深い戸惑いが含まれている。


「なぜ、水絵巻を壊してしまったのです?」


「あら、わざわざ理由を言わなければ分かりませんの?」


 誰もがひどく動揺している中で、ただひとり落ち着き払っているお岩さんが淡々と答えた。


「水絵巻を破壊することだけが、皆が助かる唯一の方法でしたもの。わたくしは、自分がやらなければならないことをやったまでですわ」


「その結果、あなたの身がどういうことになるかは、考慮なさらなかったのですか?」


「んまぁ、『結果』ですって? まさかあなたにそんな事を言われるなんて思いませんでしたわ」


 口元に手を当てて、お岩さんは明るい笑い声をあげながらニコリと笑う。


「『結果』がどうなろうが、やるべき事に変わりはないわ。それはあなたが一番よくご存じのはずでしょう?」


「そうだとしても水絵巻はあなたにとって、特別な意味を持つ物ではなかったのですか?」


 そう言う地味男に、お岩さんは半目になってチラッと視線を投げる。


「……ご存知でしたの? 油断も隙もない男ですこと」


 水絵巻は過去を映す。


 お岩さんにとって、セバスチャンさんへの悲しい想いを成就させることができるかもしれない、たったひとつの手段だった。


 そうだ。その可能性を彼女は、自分の足で粉々に踏みつぶしてしまったんだ。


 あんなに……あんなにお岩さんはセバスチャンさんのことを想っていたのに……。


 もうダメだ。お岩さんの恋は、心からの願いはもう、叶わない……。


 あたしは無意識に自分の髪を両手で掻き毟りながら、ジワッと涙ぐんでしまった。


 でもお岩さんは口元に手を当てて、まるで勝ち誇るような高らかな笑い声を上げる。


「ほほほ、地味男ったらずいぶんわたくしを見くびったものですわね。このわたくしが自分の恋情に引きずられて、世の大義を見失うような愚かな女だとでも?」


 お岩さんは笑って笑って、それから嘘のようにピタリと笑い止んだ。


 そして地味男を鋭い目付きでジロリと睨み据えながら、ドスの効いた低い声を出す。


「そんなバカはあんたひとりで充分よ。あんまりあたしを甘くみないことね。ツラ洗って出直してくるがいいわ」
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