神様修行はじめます! 其の五
『言っても詮無いことならば、それは、言わぬが花』


 月山で、「なぜこんなことをするのか」と問うセバスチャンさんに、地味男は自分の唇を人差し指で押さえながらそう答えた。


 少し困ったように眉を下げて、切なく笑いながら。


 たったひとりの旧友だけに見せた、憂いの影に染まったあの微笑み。


 思えば彼は、望んだ通りに異界の道を開いたときも、同じような顔をしていた。


 届かぬ願いに向かって、それでも諦めきれずに両手を差し伸べているような、切ない目をしていたんだ。


「……だめ」


 あたしは門川君の腕に抱きかかえられながら、無意識につぶやいていた。


「だめ。だめだよ」


「天内君? どうした?」


「このまま地味男を生け贄にしてしまっては、だめ」


 地味男は敵だし、地味男がやったことは、どんな理由にせよ絶対に許されることじゃない。


 このまま彼の命が尽きるとしても、それは当然の報いなのかもしれない。


 でも地味男の中には、まだ『何か』があるんだ。


 その『何か』を、あたしは知らない。世界中の誰も知らない。


 それを知らないままでは…………


 逝かせられない!


「地味男、抵抗して!」


 思わず叫んだあたしの声に、ふと地味男が顔を上げた。


「あんたには、聞かなきゃならないことがあるんだ!」


 あんたの胸の内の全部、洗いざらい吐き出してもらう!


 ひとつの世界を犠牲にしようとしておきながら、なにも語らぬままで逝かせるもんか!


「だから抵抗して! しろ! 地味男!」


 全力で叫ぶあたしを、地味男はズルズルと引きずられたまま黙って見ている。


 そして彼は、血濡れた自分の唇に人さし指をそっと当てた。


 少しだけ眉を下げ、困ったようにあたしに向かって微笑みながら、音にならない言葉を紡ぐ。


『言わぬが、花』


 あぁ……。そうか……。


 地味男の心の声を聞いたあたしは、唐突に思い至った。


 地味男は、ずっと泣きたかったんだ。


 あれは、あの表情は、泣くのを堪えている表情だ。


 あのときも、あのときも、いつもいつも地味男は……本当は声を上げて泣きたかったんだ!


「地味男! 戻ってきて!」


 あたしは彼に向かって夢中で手を伸ばした。


 胸の奥から熱い感情が込み上げてくる。


 その感情にふさわしい名前も、理由も分かんない。でもあたしは、自分でもどうしようもない衝動に駆られて叫び続けていた。


「だめだ地味男! このまま死んではだめだ! このままひとりで死んでいくなんて、あたしが許さない!」


 でも地味男は抵抗する様子もなく、どんどん異界の穴へと引きずられていく。


 あぁ、地味男が遠ざかる。


 誰にも知られぬ思いを秘めたまま逝ってしまう。


 懸命に伸ばしたあたしの手は、もう届かない。


 願いは、


 決して、


 届かない……。


「……届かないよ! ちっくしょおぉぉぉ――!!」


―― パシッ!


 そのとき、地味男の手首を白魚のような細く長い指がしっかりと掴んだ。


「成重様!」


 水園さんが地味男の手首を引っ張りながら、必死の形相で叫んでいた。
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