神様修行はじめます! 其の五
「諦めてはいけません成重様!」


 華奢な体で両足をグッと踏ん張り、水園さんは懸命に地味男を『底なし穴』から取り戻そうとしている。


 でも当然、彼女の力で異形に太刀打ちなんかできるはずもない。


 体を『くの字』に折り曲げた体勢のまま、彼女の足は床の上をズルズルと滑っていった。


「……手を放しなさい。水園殿」


 自分を救おうとしている水園さんの姿をボンヤリと眺めながら、地味男がポツリと言った。


 まるで他人事みたいに、まったく感情の籠らない声で。


「そんなことをしては、あなたまで異界に引きずり込まれてしまいますよ?」


「構いません!」


「私が構うのです。それでは私が生け贄になる意味がなくなる」


「そもそも、成重様が生け贄になる理由がございません! 私の過ちからすべてが始まったのなら、生け贄になるべきは私です!」


「あなたは、生け贄などにはふさわしくない」


 ほんのわずかに口元を緩めながら、地味男が静かに語った。


「あなたは水晶に心から愛されていた。そのあなたが、醜い異形の贄などになるべきではないのです」


「それならば、あなたこそがそうでしょう!?」


 水園さんは顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「水晶はあなたを世界で一番愛していたのです! そのあなたが、こんな形で死んではいけない!」


「いいえ、それは違います」


 地味男はゆっくりと首を横に振る。あの、憂いを含んだ微笑みを浮かべながら……。


「あのとき水晶は私と共に生きることより、あなたの命を選んだのです。彼女が最も愛していたのは私ではなく、あなただ」


 微笑む地味男の細い一重の目から、寂しげな涙が一筋こぼれ落ちた。


「最後の命の瀬戸際で、水晶は私ではなくあなたを選んだ。だから私はあなたが憎かったのです。……いや、それも違う」


 ふるふると首を横に振るたび、地味男の頬を澄んだ雫が伝う。


 それは彼の顔を染めるドス黒い血を洗い流しながら、ハラハラと胸元へ落ちていった。


「私は、私を選ばなかった水晶こそを一番憎んでいたのかもしれない。私をひとりで世界に置き去りにした彼女を、どうしても許せなかったのでしょう」


 地味男は諦めにも似た表情で、緩やかに、そしてとても穏やかに笑っている。


 彼が初めて見せるその顔を、水園さんは言葉もなく見つめていた。
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