行雲流水 花に嵐
「伊平、お前はそこ閉じておけ」

 下から勝次が声を掛けた。
 先程の男は伊平というらしい。

「わかりやした」

 文吉が、伊平の声音を真似て返事をした。
 降りてしまえば、もう一度階段の穴に入らなければ上は見えない。

 宗十郎はそろそろと、音を立てないよう注意して階段を降りて行った。
 文吉も静かについてくる。

「便器の中に飛び込んで、汲み取り口から出るとか言わないでくれよ」

「でもそうやって出たら、さすがに誰も近付かねぇから無事逃げおおせられますぜ」

 勝次の身体が見えるぎりぎりまで降り、息を殺して様子を見る。
 勝次は階段の横の壁のほうを向いている。
 と、途端に勝次の姿が消えた。

「何っ?」

 驚いて、宗十郎は落ちる勢いで残りの段を駆け下りた。

「だ、旦那っ。待ってくだせぇよ」

 文吉も慌てて降りて来る。
 厠に出て、周りを見回してみても、勝次の姿はどこにもない。

「外に出たわけでもねぇよな……」

 勝次は厠の戸と反対を向いていた。

「確か、この壁を……」

 触ってみても、別に何も起こらない。
 感触も普通だ。

「ここに立ってただけで、奴の姿が消えたぞ? 何なんだ」

 壁に手をついたまま、足元から頭の上まで眺めてみても、特に何もない。

「まさかまさかの、汲み取り口?」

 文吉が言いながら、便器に屈む。
 そのとき、文吉の尻が宗十郎の尻を突き飛ばした。
 厠は狭いのだ。

「うおっ!」

 思いのほか強く飛ばされ、宗十郎が壁にぶち当たる。
 文吉も一緒に転がった。

 その途端、壁がぐるりと回ったのだ。

「いてっ!」

「おやーっ」

 二人一緒に、地面に倒れ込む。
 宗十郎の目の前には土の色と雑草。
 ん、と顔を上げると、目の前に蔵があった。

「お、お前らっ」

 蔵の扉の前で、勝次がこちらを振り向いている。
 その手は鍵を錠前に差し込んでいた。

 どうやら厠の壁が回転して、外に出られる仕組みだったらしい。
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