陽だまりの林檎姫
しかし悪くないこの感覚に栢木も北都も心が和んでいた。

「雨…?」

ふと耳に入ってきた音と独特な匂いに気付いて栢木がぽつりと呟く。

窓の外を見ようと顔を動かせば北都との距離の近さに思わず固まってしまった。

しっかりと視線が合い互いにこの距離の危うさを感じる。

何か言おうもののすっかり言葉を失ってしまった栢木は瞬きを重ねることしか出来なかった。

この音は外に聞こえてしまうのではないかと思う程に強く大きく心臓が跳ねる。

「…悪い。」

先に目を逸らしたのは北都の方、距離をとる彼に何も返せず栢木も逃げる様に視線を下ろした。

街を濡らす雨の音が言葉を無くした空間に静かに響く。

いつかも同じ様なことがあったと2人は同時に思い出していた。

特別な採水をしたあの時だ。

互いに抱えていた秘密を打ち明けたあの夜と今と、2人を包む空気はどこが違うのだろう。

少なくとも顔を赤らめたままの栢木の心は違っていた。

あの時よりももっと北都を意識して鼓動が速い。

「いつ…立つつもりだ?」

北都の言葉の意味が分からず、栢木は不思議に思いながらも顔を上げて北都の方を見た。

しかし北都は手元にある本を触りながら視線もそこへ預けている。

目が合わない北都の様子で彼の言葉が何を指しているのか栢木は静かに理解した。

知られてしまったこの場所から次の場所に移るのはいつだと聞いているのだ。

「私、逃げませんよ?」

心配してくれている、それが分かると自然と笑みがこぼれていた。

その心は素直に嬉しい。

だが栢木の返事を聞いた北都は顔色を変えて覗き込んできた。

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