エリート御曹司とお見合い恋愛!?
「ごめん、俺、一度会社に戻らないとならなくて」

「あ、はい」

 私の顔を見ないまま、アッパーフロア行きのエレベーターに目を向けて、倉木さんは告げた。その言い方はいつも通りで、そんな態度に勝手に戸惑う。

 けれど、そういうことなのだ。火照った体と頭が熱を失って冷たくなる。倉木さんにとっては、あんなことなんでもないことで、そうではなくても、いちいち触れるべきことじゃない。

 私は一度、唇を噛みしめてから、再度倉木さんにお礼を告げてエントランスの方に足を向けた。

 あれは、きっと、うん。雰囲気に呑まれたというか、魔が差したというか。おそらくそういうことなのだ。いちいち気にしたり、ましてやどうしてあんなことをしたのか、なんて尋ねるのはナンセンスだ。

 倉木さんの気持ちがどうであれ、ここを出れば、私たちの関係はなんでもない他人だ。そしてもうすぐ、私たちのこの関係も――

「美緒」

 いきなり名前を呼ばれて私の心臓が跳ねた。一瞬、自分のことなのか疑ったくらいだ。慌てて振り返れば、倉木さんがこちらに駆け寄ってくれていた。

「どうしたんですか?」

 名前を呼んでくれたこと、呼び止められたこと、本当は前者のことを訊きたかったけど、とりあえずは後者のことを尋ねる。すると倉木さんは私の肩を抱いて端に移動させてから、素早く内ポケットから財布を取り出した。

「今日は飲んでないけど、タクシーで帰って」

 お札を差し出され、まさかの展開に、私は両手をぶんぶんと横に振った。
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