俺様社長と極甘オフィス
 俯きがちに発せられた言葉は、消え入りそうに弱々しかった。あの五十二階のドアに設置されていたパスワードつきの鍵は、エレベーターのものと違い比較的に新しいものだった。おそらく前一氏がわざわざ取り付けたのだろう。

 どうしてなのか。いや、今考えるのはそんなことではない。

 意を決して私は、社長との距離をさらに縮めると、その真正面に立ち、腰をかがめた。不思議に思った社長が顔を上げる前に、その頭を撫でる。落ち込んだとき、父がよくしてくれたことだ。

「本当に辿りついて欲しくないなら、わざわざあんな遺言を残しませんよ。辿り着いて欲しいから、社長ならきっと辿り着ける、と思っておじいさまは託されたんだと思います。だから大丈夫です。現にエレベーターだって開けられたじゃないですか」

「それは俺の実力じゃなくて、藤野のおかげだけどね」

「あら。そんな私を秘書にしているのも社長の実力のうちじゃないですか?」

 しれっと返すと、ワンテンポ間があってから社長が吹き出した。やっと上げてくれた顔は笑いを噛み殺している。でも笑顔だ。そのことに私はひどく安心した。

「本当に、敵わないなぁ、藤野には」

「恐れ入ります」

 軽く微笑んで返すと、社長も笑ってくれる。そして、いつの間にか社長の腕が後ろに回されていて私はさらに近くに寄ることになった。
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