愛し君に花の名を捧ぐ
◇ ◇ ◇

 執務室へ続く長い回廊を大股で進みながら、琥苑輝は背後に叱責を飛ばす。

「宜珀《ぎはく》、博全《はくぜん》。どういうつもりだ」

 すぐ後ろについていた博全は苦い顔で父を見遣る。その目は「それ、みたことか」と宰相である宜珀を責めているかのようだ。

 厳しい顔で戻ってきた皇帝に、警護に立っていた衛士が慌てて扉を開ける。李父子《おやこ》がそれに続くと、執務室の扉はしっかりと閉じられた。

「何度言ったらわかる。私は娶る気は毛頭ない」

 語気を荒らげつつ長椅子に腰掛ける。その前でふたりの臣下は拝礼し、宜珀のほうが毅然と顔を上げた。

「このまま生涯后をお持ちにならぬ、とおっしゃられるか」

 父帝の代からの重臣の諌言に、苑輝は無言をもって応える。十年前、彼が帝位に就いたときから言い続けていることであり、また言われ続けていることでもある。

「では、この国はどうなるのです。このままでは皇太子を立てることもできません」

「傍系ならいくらでもいるだろう。そこから探せばよい。それでも適任がみつからなければ、帝位を継ぐのはいっそ琥氏でなくとも構わない」

「陛下っ!」

 たまらず博全が声を張り、身を乗り出す。それを微かに眉をひそめる宜珀が片手を上げて制し、静かに諭した。

「ならば、あの姫君はいかがされるおつもりか。先方は、嫁に出した娘を突き返されたと思われるでしょう」

「返すもなにも、もとよりそんな話はなかったはず。お前たちが勝手にしたことであろう。第一、彼女とは親子といってもおかしくないほどに年が違う。それではあちらが気の毒だ」

 初めて逢ったときより遙かに美しく成長したリーリュアの姿が、苑輝の目裏に思い起こされる。あの姫なら、なにもこんな遠方まで来なくとも引く手数多だろう。

「とにかくだ。せっかくまとめた条約を反故《ほご》にされないよう、丁重に言い含めて送り返してくれ」

 話は終わりだとばかりに手を振って、ふたりに退室を促す。博全がなにかものを言いたげに口を開きかけるが、卓子に着いた苑輝は彼らをいないものとして無視を決め込み政務に戻った。

 李父子が出ていき扉が閉まったのを確認してから、苑輝は礼服の衿元を緩め高い天井を見上げる。
 即位して十年あまり。度重なる戦で疲弊していた国内を立て直すことに精一杯で、瞬く間に過ぎていった年月を、独り振り返っていた。

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