ヒステリックラバー
武藤さんは自分が何をしたかを一切覚えていないようだ。そこまで酔うなんて憎たらしい。私だけが傷付いて悩んでいるのに向こうは何も覚えていないなんて許せない。腹立たしいし、本当は謝罪をしてほしい。でも私に近づいてほしくない。
それならもう私が勝手に無かったことにして、このまま不機嫌な態度で彼に接していくのが一番いいではないか。
まだすぐ近くにいる武藤さんの存在が怖くて、どうしたらいいのかわからなくて、私はしばらく非常階段の踊り場から動けないでいた。
◇◇◇◇◇
タイムレコーダーに打刻すると会社を出た。正広の顔が見たくなったので家に行ってみようと思っていた。急に連絡をして正広も困るかもしれないけれど、明日は休日だしそのまま家に泊まるのもいいかもしれないと思っていた。
「戸田さん!」
駅までの道を歩いていると後ろから呼びかけられた。振り返ると武藤さんがこっちに向かって走ってくる。その姿に私は身構えた。逃げようと思ったときには追いついてしまった。
「お……お疲れ様、です……」
武藤さんは息を乱しながらもう見慣れてしまった困ったような笑顔で私の前に立った。
この人の顔なんて見たくないのに、必死で追いかけてきた武藤さんから逃げるのはさすがに悪い気がしてしまう。
「お疲れ様です……はぁ……」
武藤さんは髪を乱して顔が赤くなっている。息を整えるために深呼吸して、言葉を発することなく私の前に立ち続ける。乱れた髪と上気した表情は絵になった。嫌いなはずなのに見惚れてしまう。イケメンというのは存在自体がずるい。