徹生の部屋
思わずゴクリと生唾を呑み込んだのに気づかれてしまった。
意味深に笑んだ徹生さんは、缶ビールをさらに押し出してくる。

私はそこから目を引き剥がして懇願した。

「すみませんが、お水を一杯いただけますか?」

するとおもむろに立ち上がり、彼は奥のドアに消えていく。

ほどなくして戻ってきた手には、コップではなく新たな缶ビール。
プルトップを上げ、がっくり項垂れた私の前にあった缶と交換した。

「これがあるのになぜだ? 遠慮はいらない。呑めないというのなら無理には勧めないが」

そう言いつつ、涼しげな切れ長の眼は見透かすようにイジワルな弧を描き「好きなんだろう?」と語りかけてくる。
いったい彼は、なにをしたいというのか?

「お気遣いはありがたいのですが、本日は仕事でお伺いしておりますので」

断固としてビールから視線を逸らす私の前で、彼は取り替えたビールの封を開け、これ見よがしに喉を潤す。

「接待だと思えばいい。俺が機嫌を損ね、例の提携が流れるとしたらどうする?」

「さっ!」

最低! と叫ぼうとした口を噤んだ。まさか冗談だとは思うけれど。
彼の本心を窺い知ろうとしても、涼しい顔でビールを美味しそうに呑み続けているだけだ。

私を酔わせてセクハラでもする気なの?

不審な目を向けると、徹生さんは不愉快そうに整った顔を歪める。

「妹が言うには、例の音がするのはいつも0時過ぎだそうだ。それまでの赤の他人と過ごす時間を潰すには、酒を呑むくらいしかないだろう? そんなに警戒しなくても、仕事を盾に関係を迫るほど女には苦労はしていない」

それはそうでしょうね。
桜王寺グループ創業者の一族で、きっと将来は重要なポストを用意されているだろう御曹司。
そのうえ、モデルか芸能人といわれても頷ける顔とスタイルの持ち主なら、甘い蜜に群がるように、綺麗な蝶たちが寄ってくるのだろう。

私のような、片田舎からでてきた、顔も頭もこれといった取り柄のない人間なんて、彼の歯牙にもかからないんだ、きっと。









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