徹生の部屋
困惑する私に、助け船が現れた。

「これは桜王寺さま、いらっしゃいませ。大変申し訳ございませんが、店員は商品ではありません。むやみにお手を触れないよう、お願いできますでしょうか」

「店長……」

口元は穏やかな笑みを浮かべてはいるけれど、徹生さんを見る目つきからは、あからさまな敵意が感じ取られる。
あれ? たしかこのふたりって、知り合いだったような。

「なんだ。この抱き枕は非売品だったのか。試用までさせておいて、それはどうかと思うが?」

「抱き枕? 試用?」

店長から向けられた訝しげな視線が痛い。必死で手を振って否定すればするほど、徹生さんの口角はイジワルに上がっていくし、店長の疑いの眼差しは強まっていく。

「俺はただ買い物に来て、彼女に案内をしてもらっているだけだ」

「お買い物の基本的なルールも守ってくださらない方を、お客さまとはお呼びできません」

笑顔と小声で交わされるやり取りは、遠巻きに見守っている周囲にはどう映っているのだろう。
間近で険悪なムードをひしひしと感じている私だけが、ハラハラとふたりの間で視線を往復させている。

「これはまた、ずいぶんと大きく出たな」

徹生さんはサクラホームの人間だ。もし提携の話が流れたら、桧山家具がどれほどの痛手を受けるか。考えただけでも胃が痛い。
総責任者である桧山店長の去就にも関わるのでは、と心配になる。だけど、

「井口は大切な当店の一員です。理不尽な行いで社員を泣かせるような会社と仕事はできません」

微塵も表情を変えずキッパリと言い切り、社員のことを守ろうとする店長に息を呑んだ。こんなときに不謹慎だけど、その気持ちが嬉しい。

「まだ啼かせてはいなのだが」

徹生さんはふっと含み笑いをして、両手を小さく挙げた。降参、ということだろうか。

「我が社も、社員をないがしろにするような会社と手を結ぶ気はない。――あなたのような経営陣のいる会社と、よい仕事ができることを楽しみにしています」

差し出された右手を「こちらこそ」と店長はにこやかに握り返した。
ただし、お互いの右手の甲に血管が浮き出るくらい力が入っていると気づいたのは、きっと私だけだだろう。

「君にも。からかったりして申し訳なかった。あまりに熱心な仕事ぶりに感心してしまってね。だが、ベッドを購入したいのは本当だ。今度、カタログと君が薦めるものの見積もりを届けてくれないか。じっくり検討したい」

「かしこまりました」


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