徹生の部屋
なかなか去らない余韻の中にも、「一階のフロントにクリーニングの取り次ぎをお願いしなければ」という現実的なものがチラチラと顔を出し始めていた。

「そういえば、来月に基紀と寿美礼の婚約パーティーがあるらしい。楓にも出席してほしいそうだ」

「え? ついにお許しが出たの!?」

花火大会の日、寿美礼さんに彼女の父親や叔父夫婦の前で、堂々と公開プロポーズしたという楢橋さん。
本人からは即答でOKが返ってきたというのに、周囲からの反対があってなかなか話が進まないと聞いていた。

特に叔母である桃子さんは、彼にかなりの罵詈雑言を浴びせかけ、頑として承知しようとしなかったそうで。

それがとうとう折れたというのだ。いったい、どういう心境の変化だろう。

「次期樺嶋建設社長を、未婚の母にするわけにはいかないだろうからな」

それじゃあ!?
跳ね起きた自分がまだなにも身にまとっていなかったことを思い出し、慌てて布団に潜る。その様子を「いまさら」と徹生さんに鼻で笑われたって、恥ずかしさがなくなるわけじゃないのだ。

「寿美礼さん、赤ちゃんができたんだ……」

「どうせ、寿美礼のほうから基紀に、既成事実を作ってしまおうと持ちかけたんだろうが」

徹生さんは本人たちから直接聞いたみたいにいうけれど、どこからみても良家のお嬢さまっといった彼女が、そんな大胆な作戦に出るなんて、にわかには信じ難い。

疑わしげな目を向ける私に、徹生さんは呆れ顔を見せる。

「楓は寿美礼のことをだいぶ誤解しているみたいだな。アレは、ご令嬢なんてお上品なものじゃないぞ」

上半身を起こしてヘッドボードに寄りかかり、徹生さんは思い出し笑いをする。

「小学校までは近所のガキ大将だったし、中学に入学したときになんて、生意気だと上級生に呼び出しを喰らって、ネチネチといびられそうになったのを、反撃して撃退したそうだ」

右手で作ったグーを突き出してみせた。
それって比喩ですよね? まさか実力行使したわけじゃないですよね??

「母親を早くに亡くしている上に、一人娘で跡継ぎだ、という気負いもあったんだろうけど、男勝りのじゃじゃ馬っぷりに、庄一おじさんもずいぶんと手を焼いていたみたいだった」

「だけど、徹生さんも楢橋さんも仲の良いお友だちだったんでしょう?」

そして楢橋さんと同じく、それ以上の感情を抱いていたのではないだろうか? 

彼女のことを懐かしそうに話す彼の瞳が、忘れかけていた昏い感情を揺り起こした。












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