徹生の部屋
「適当に座って」

そう指示されても、私は不躾を承知で部屋の中を見回すことを止められなかった。

明治時代に建てられたと聞いたけれど、この部屋の中はいうなれば『大正ロマン』。映画かドラマのセットに迷い込んでしまったようだ。

建具や腰板のダークブラウンと漆喰の壁の優しい白。ソファセットの背もたれと座面に使用したベロア生地の葡萄(えび)色が主張しすぎない差し色になっている。
飴色のセンターテーブルを照らすのは、ステンドグラスの笠をかぶったペンダントライト。
壁際にある半円の天板をもつ猫脚のコンソールテーブルの上に載る馬は、唐三彩の俑? もし本物だったらすごい値段のはずだ。

和洋折衷どころか、古今東西のありとあらゆる意匠が混在しているのにうるささを感じず、全体がしっくりと馴染んでいるのはどうしてなのだろう。

お客さまの家を訪問しているのだということを、すっかり忘れて魅入ってしまっていた。


プシュッという気の抜けた音で、私はようやく我に返る。
目を瞬かせて部屋を見渡せば、三人掛けのソファのど真ん中に長い脚を組んだ桜王寺さまが座っている。

「掛けないのか?」

椅子を指差した手に持っているのはビールの缶。さっきの奇妙な音は、プルタブを開けた時に出たものだったらしい。

「あ、すみません。失礼いたします」

彼の向かい側にある肘置き付きの椅子に浅く腰掛けると、封の開いていないビール缶がテーブルの上を滑ってやってきた。

「あいにくと、すぐに出せるのがこんなものしかなくてね。コーヒーもお茶も、どこにあるか知らないんだ」

「えっと、ほかの方は?」

あいかわらず、彼以外の人間が出てこない。

「両親は先月から客船で世界一周中。祖父母は菩提寺のある田舎に湯治を兼ねて墓参り。一時的に面倒をみる人間が誰もいなくなった使用人たちには、まとめて夏休みをやった。こんなことは滅多にない機会だからな」

グビッと缶から直接ビールを呷って、さもこともなげに言ってのける。
これだけのお屋敷だから、お手伝いさんのひとりやふたりはいても驚かないけれど……。

「桜王寺さまたち――徹生さんや姫華さんがいらっしゃるのに、ですか?」

「俺は大学からずっと都内のマンション暮らしだし、姫華は……聞いていないのか? 留学時代の友達の別荘に呼ばれていたのを忘れてたといって、今朝の便でドイツに行ったぞ。慌てて俺に電話をかけてきて、対応を任されたんだ」

エアコンが効いた室温ですっかりひいてしまった私の汗の代わりに、缶についた結露がツーッと伝い落ちた。



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