公爵様の最愛なる悪役花嫁~旦那様の溺愛から逃げられません~
ジャボットから香るバラの香料も、覚悟と使命感で固めた私の心を、その甘さでたぶらかそうと企んでいるかのようだ。
たまらず目を瞑り、鼻も塞いでしまいたい心持ちになっていたが、そのとき耳に「メアリー、こっちにいらっしゃい」と呼びかける女性の声が届いて、ハッと目を開けた。
メアリーと呼ばれたのは、ピンクのドレスを着た幼い少女で、その母親と思しき女性貴族に駆け寄る姿が壁際に見えた。
『クレアお姉ちゃん……』
丘の上の孤児院で儚く命を散らしたメアリーの声が記憶の中から蘇り、揺さぶられた心は無事に元の位置に着地する。
私が彼の花嫁候補者を打ち負かすことができたなら、彼はゴラスの悪政について議会で議題にあげてくれると約束してくれた。
その契約の履行が、今の私がやるべきことのすべてで、他の令嬢たちのような生温い恋心など抱いている暇はない。
明るい曲調の三拍子のステップを踏みながら、すっかり冷えた瞳で彼と視線を合わせる。
すると、彼は片眉を少々吊り上げ、その口からは溜め息がこぼれ落ちていた。
「まったく、扱いにくい女だ……」
その文句は、彼の色香に惑わされずによくぞ持ちこたえたという褒め言葉に聞こえる。
お互いの思惑を胸に、ルイーザ嬢以上の曲数をふたりで踊り続けながら、舞踏会の夜は緩やかに更けていった。