俺はお前がいいんだよ

配り終えた後、ポーチを持って化粧室に行こうとしたら、桶川さんが机をバンバンと叩いた。


「まだか。早くしろよ、高井戸」

「ちょっと待ってくださいよ。客先に行くんでしょう? 身だしなみを整えるのも仕事のうちです」

「豆狸が化粧濃くしたって変わらねぇだろ」

「いらぬシミは隠せます。黙って待っていてください」


背中に一発ゲンコツを食らわせてから化粧室に向かう。
失礼だよね、桶川さんは。まあ確かにこんなチビの童顔が化粧したところで変わらないのはたしかなんだけどさ。

それでもやっぱり、ファンデーションを塗りなおせば肌は綺麗に見える気がするし、ローズピンクの口紅を塗れば、気分は華やかになる。別に顔で仕事するわけじゃないけど、身だしなみを整えるのはイコール気分を整えるってことで、大事だと思うわけよ。


「はい、お待たせしました」

「お前は一緒に話聞いて、報告書作れ。俺のノーパソ使っていいから」

「はい。桶川さん、本当に資料作り苦手なんですね。では、行ってまいります。あとよろしくお願いしまーす」

「はいはい。気を付けてねー」


亀田さんはニコニコしながら自分のノーパソを持って受付近くに移動する。
来客があったら対応してくれるのだろう。
もともと、単独の受付担当を持たなかったこの会社は、たぶん私がくる前はずっとこんな風に社内に残っている人がフォローに回っていたんだろう。


「私、雇ってもらって本当に良かったんですかね」


余裕のある電車の中で、桶川さんと並んで座る。大柄な彼は私の1.5倍くらいのスペースを使って、長い脚と腕を組んで偉そうに座っている。


「あ?」

「いや、うちの会社って別に受付いらないじゃないですか。みんな電話もちゃんととるし、私が抜けてもなにも困らないなーって」

「お前、別にサボっているわけじゃないだろ。俺の議事録作るのも仕事だ」

「そりゃそうなんですけど。一応受付事務なので」

「気になるなら役職名を変えるように深山に言ってやるよ」

「いえ、別にいいんですけど」

「居づらいなんて思うなよ」


腕を頭にどっしりと乗せられて、「痛い、重い!」と喚く私と、「ちょうどいいところにあるんだもんよ」と笑う桶川さん。

なんだかんだと、この人は私の気持ちを楽にしてくれる。

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