MAZE ~迷路~
 忍耐強い智も、待ち続けることと不安の狭間で、いよいよ限界が訪れている事を感じた。
「おかしい、絶対におかしい。」
 智は呟くと、美波の携帯を鳴らしながら車から降りた。
 電波がとりにくいのか、接続中のような音がした後、呼び出し音がなり始めた。それと呼応するように、聞き覚えのある呼び出し音が道路の向こう側から聞こえてきた。

(・・・・・・・・美波とおんなじ呼び出し音か、紛らわしい・・・・・・・・)

 そう思いながら、音のする方向に目をやった智は、バッグから携帯を取り出そうとする美波の姿に気がついた。
「美波。」
 智の言葉には、驚きと、安心と、怒りといった、あらゆる感情が込められていた。無事で良かったと思う反面、隣で荷物を持っている敦の姿に、智は激しい怒りと嫉妬を覚えた。

☆☆☆

 敦と並んで家に向かっていた美波は、街灯の傍に停められたルノー5に目を止めた。

(・・・・・・・・もしかして、智・・・・・・。そうだ、さっきのメッセージ、もしかして智・・・・・・・・)

 美波がそう思った瞬間、けたたましい音で美波の携帯が鳴り始めた。
「やっぱり、智だ!」
 美波は呟くと、慌ててバッグから携帯を取り出した。
「もしもし。」
 そう言いながら目を上げた美波は、街灯に照らし出されている智の姿に目を止めた。
 智は携帯電話を握り締め、じっと美波の方を見つめていた。その様子に、美波も携帯に話しかけるのをやめて電話を切った。
「なんだ、智がおでましなら、智に迎えに来てもらえばよかったのに。」
 敦は言うと、ちょっとバツの悪そうな顔をした。
「なんで電話をくれないんだ?」
 智は言うと、怒りに満ちた瞳で美波と敦を交互に見つめた。
「・・・・・・もう、俺とは話すこともないって言うのか?」
 話の展開が見えない敦は、躊躇いながらも美波と智の間に割って入った。
「智、いきなりそういう言い方はないだろう。」
 美波は俯くと、敦の影に隠れた。
「どけよ敦。俺は美波と話をしてるんだ。」
 智は言うと、敦の肩に手をかけた。
「美波は具合が悪いんだ。」
 敦は言うと、智の手を振り払った。
「お前が、美波をそそのかしたのか?」
 智は言うと、今度は敦に掴みかかった。
「俺がいなくなったら、美波が自分の事を振り向いてくれるから、それが理由か?」
 智の言葉に、敦は静かに言った。
「智、頭を冷やせ。俺には、お前と美波を別れさせるつもりなんて、これっぽっちもないんだ。それくらい、お前が一番良く知ってるだろう。」
 敦の落ち着きが、智の怒りを更に燃え上がらせた。
「そうやって、お前はいつも何でもわかった風で。本当は美波を取り返すチャンスを窺がってただけなんだろう。泥棒猫みたいに、こっそりと。」
 智の言葉に、敦は自然と体が動くのを止められなかった。
 敦は一気に智の手を払いのけると、智の両肩を激しく突き飛ばした。
「いいかげんにしろ。」
 敦は言うと、美波を家に入れようと、美波の手を引いて歩き出した。
 その瞬間、智が敦に殴りかかってきた。
「いやぁ~。やめて、智。敦。」
 美波は、地面を転がりまわる智と敦を見ながら声をあげた。
「やめて、二人とも。」
 美波の声が聞こえないのか、二人は取っ組み合いの喧嘩を続けた。
 美波の声を聞きつけた、有紀子が姿を現したのは、それから間もなくの事だった。
「敦ちゃん、智さん、公衆の面前ですよ!」
 有紀子の声に、二人は思わず手を止めた。
「何してるの二人とも。みっともない。」
 有紀子の言葉に、二人はしぶしぶ立ち上がった。
「早く家に入りなさい。美波も。」
 有紀子は言うと、玄関を指差した。
 三人三様に言い訳しようと試みたが、有紀子は無言で玄関を指差した。


「そこに座りなさい。」
 有紀子は言うと、三人に座るように命令した。
 美波を真ん中に、智と敦が両脇に座った。
「なんですか、いい大人がみっともない。」
 有紀子は言うと、智と敦を睨みつけた。
「おばさん、これには訳が・・・・・・。」
 敦は、必死に取り繕うとした。
「当たり前でしょう。訳もなく、いい大人が道路の真ん中で、取っ組み合いの喧嘩なんかされてたまりますか。」
 言ってから、敦はやぶ蛇だったと口を閉じた。
「一番に手を出したのは誰ですか?」
 有紀子の問いに、三人が一斉に答えた。
「僕です。」
「俺です。」
「私。」
「じゃあ、誰が誰に手を出したんですか?」
 有紀子はあきれたように言うと、三人の顔を見つめた。
「僕が最初に、敦に掴みかかりました。」
「それを言うなら、俺が最初に智の手を払いのけたんです。」
 事実を答える智と、智をかばおうとする敦に、美波は心の中で言った。

『翔悟が死んだの。』

 美波の言葉に、有紀子は顔色を変えたが、智と敦のには、何も聞こえなかった。
「分かりました。二人ともお互いに庇い合うなら、最初からあんな事をしないように。三人で話し合いなさい。」
 有紀子は言うと、そのまま部屋を後にした。
 残された三人は、無言のままお互いの顔を見つめた。
「とにかく、痴話喧嘩は馬も食わない。婚約者同士、まるく話を収めてくれよ。」
 敦は言うと、立ち上がった。
「俺、帰るわ。お休み。」
 それだけ言うと、敦はさっさと出て行ってしまった。
「なんで、電話くれなかったの?」
 智は言うと、美波の事を見つめた。
「圏外の間に入ったから、気がつかなかったの。気がついたときは電車の中で、でも寝過ごしちゃって敦に迎えに来て貰って、疲れて車の中で寝ちゃったの。それで、車からおりたら、すぐに智が電話してきたの。」
 美波は一気に言うと、智の事を見つめた。
「智があんなにやきもち妬きだなんて、知らなかったわ。」
 美波の言葉に、智は恥ずかしそうに目をそらした。
「そりゃ、美波がいきなり、もう終わりだなんて言うから・・・・・・。」
 智は言うと、美波の指にはめられている婚約指輪に目を止めた。
「ちゃんと、指輪しててくれたんだ。」
 智は安心したように言った。
「智、返せって言わなかったもん。」
 美波の言葉に、智は複雑な表情を浮かべた。
「じゃあ、あの時、俺が返せって言ったら、美波、その指輪置いていったのか?」
「そりゃ、貰ったものは私のものだけど、智が返せって言うなら、返すしかないじゃない。」
「返せなんて、言うわけないだろ。美波の指に合わせて創ったのに。」
「サイズなんて、直せばいいだけだもん。」
「そういう問題じゃないだろ!」
 言ってから、智は自分が必要以上に大きな声を出していることに気がついた。
「その指輪は、美波のために創ったんだ。サイズ直したって、誰にも合わない。・・・・・・・・あれから、いろいろ調べたんだ。美波が納得行かないのも分かる気がする。でも、俺は美波には危険な事してもらいたくない。」
 智が美波のことを心配しているのは、美波にも良くわかった。

(・・・・・・・・智には言えない。翔悟の事も・・・・・・・・)

 美波は、智にはなにも話さない決心をした。
「ごめんね、智。心配かけて。」
 美波は言うと、智に笑って見せた。
「もう、危ない事しないって、約束してくれる?」
 智の言葉に、美波は頷いて見せた。納得した智は、有紀子に謝ると、自分の部屋に帰っていった。
「美波、誰に翔悟さんのこと聞いたの?」
 有紀子は静かに問いかけた。
「翔悟の友達だって人。私に伝えて欲しいって、写真みせて貰ったって。」
 美波は言うと、寂しそうな目をした。
「そう。残念だわ。」
 有紀子は言うと、美波の頭を軽くなでてくれた。
「お風呂入ってるわよ。」
 有紀子の言葉に、美波はだまって頷いた。

☆☆☆

 栗栖が美波の携帯に電話をかけてきたのは、次の週の終わりも近付いた木曜日の夜だった。
『栗栖ですが、今お話できますか?』
 声をひそめるような栗栖の声に、美波はあたりの様子を窺がった。
「いま、帰宅途中なんです。お急ぎですか?」
『分かりました。お宅に帰られたら、お電話いただけますか?』
「わかりました。じゃあ、お電話します。」
 美波は言うと電話を切り、足早に家へ向かった。
「ただいま。部屋で電話かけてくる。」
 美波は言うと、二階の自分の部屋に駆け上った。
 美波は自分の部屋に入ると、栗栖の携帯に電話をかけた。
『・・・・・・・・。』
 警戒しているのか、電波が悪いのか、栗栖は返事をしなかった。
「もしもし、粟野原です。」
 美波は自分から名乗った。
『すいません。最近、私を探している人間がいると小耳に挟んだものですから。』
 栗栖は言うと、さっきと少し違う落ち着いた声音で話し始めた。
『最近、妙な動きが見えるんです。』
 栗栖の言葉に、美波は耳を澄ませた。
『実は、近江病院の電話を盗聴してるんですが、菩提寺の場所を探る妙な電話をかけてきた男がいます。どういった関連か分かりませんが、少し前に近江家の菩提寺に、何者かが忍び込み、墓を荒らしたと言う噂も聞きました。』
 美波は、冷や汗が流れてくるのを感じた。
「そ、それ、私です。」
 美波が言うと、栗栖は絶句したようだった。
『なぜそんな危険な事を! 連中に捕まったら、何をされるか分かりません。これからは充分気をつけてください。』
 栗栖の言葉に、美波はあの晩の出来事を思い出した。
「あの晩、変な一団に後を追われて。すごい殺気でした。」
『そうでしょう。連中は、お布施で寺を黙らせ、特殊なセンサーを納骨室に設置したはずです。美波さんは、実際には何をされたんです?』
 栗栖の言葉に、美波は仕方なく、卒塔婆を確認した上で、納骨室から骨壷を取り出し、蓋を開けたことを告げた。
『開けたんですか?』
 栗栖の言葉は、批難と言うより、驚いたという方が正しかった。
『相手は病院ですよ。人骨をかすめ取って骨壷に入れるくらい、分けなくする連中ですよ。まあ、空だったということは、絢子さんの死体が見つかっていないと言う表向きの事を証明する意味もあったんでしょう。』
 栗栖は言うと、『危険な事はしないように』と、再度、美波に念を押した。
『美波さんの苦労のおかげか、今まで分からなかった絢子さんの病室が分かるかもしれません。病棟に動きがあって、患者があちこち動かされてるんです。分かり次第、ご連絡します。』
 栗栖は言うと、『質問はありますか?』と、問いかけた。
「栗栖さん、私、ティンクの居場所がわかったら、助けに行きます。」
 美波の言葉に、栗栖はしばらく黙っていた。
『本当は、美波さんの危険を考えると、連れて行きたくはないんです。でも、絢子さんがどんな状態か分からない以上、美波さんがいないと絢子さんを見つけられない可能性もあるので、私も同行をお願いするつもりでした。ただ、私も一緒に行きます。一人では行かせません。良いですね。くれぐれも無理をしないでください。』
 栗栖は、何度も念をおした。
「分かりました。栗栖さんも気をつけて。」
『では、おやすみなさい。』
 栗栖は言うと、電話を切った。

(・・・・・・・・もうすぐティンクに逢える・・・・・・・・)

 美波は心の中で確信した。
 部屋着に着替えると、美波は一階に降りていった。


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