MAZE ~迷路~
一週間が短いと美波が思ったのは、大学最後の試験以来はじめての事だったかもしれない。
美波は、不安と期待の中で金曜日の夜を迎えた。明日には、絢子に逢えるのだと思うと、美波の足どりは空を飛べそうなほど軽かった。そんな美波の気持ちを重くしているのは、智との喧嘩の事だった。
美波としては、智と出会った時から、もっと遡ってしまえば、絢子が死んだと知らされた時から、能力(ちから)の事を誰かに話すつもりは全くなくなっていた。しかし、絢子が助かって帰ってくるとなると、美波の生活は今までとは一変してしまう事が想像できた。
物理的な距離が力の強弱を作用する事がある美波と絢子の場合、絢子を護るためには、美波は絢子と共に逃げ回る事が必要になってしまうかもしれないからだった。
絢子が戻ってくれば、美波の能力(ちから)はいまと比べ物にならないくらい強くなってしまうし、そうなれば、智に内緒に済まそうとしていた美波の計画は完全に狂ってしまう。
小雨の降る窓の外を眺めながら、美波は明日には雨が上がるように祈り続けた。
土曜日の朝を迎えた美波は、夜のためにいつもよりゆっくりと朝寝を楽しんだ。
早起きの智が迎えに来ないことを怪訝に思いながらも、有紀子は何も訊かなかった。この間の喧嘩を見れば、急ぎ足で婚約まで駆け続けた美波と智の間に、新たなステージが始まったとも考えられた。
美波は遅めのブランチを済ませると、前回の冒険の時と同じく、動きやすい服装に着替えたが、有紀子に怪しまれないように、その上からスカートをはいたりしてごまかした。
昼間のうち、美波は部屋で読書をしたりして時間を過ごしたが、陽が暮れ始めると、美波は携帯電話と本を見比べながら、時間が経つのがもどかしく感じ始めた。
栗栖からの電話がないまま、とうとう夕飯になってしまった。
最近では珍しい、智のいない二人だけの夕食に、有紀子は残ったおかずの山を見上げた。
「まいったわね。智さんがいないと、こんなに残るものかしら。」
有紀子は言うと、いつもより食が進んでいない美波の事を見つめた。
「美波、食欲ないの?」
「うん、なんとなく。」
美波は、有紀子に悟られないように、笑って見せた。
「後で智と出かけるから、その時ちょっと食べるし。」
美波が言うと、有紀子は仕方なさそうに頷いた。
「わかったわ。気をつけてね。」
有紀子は言うと、片付けを始めた。
携帯電話が鳴り始め、美波は走って二階の部屋へと上がっていった。
(・・・・・・・・なんだか、すごく嫌な感じがするわ。良くない事が、起こらなければ良いけれど。そういう感覚、美波の方が優れてるはず・・・・・・・・)
有紀子は洗い物をしながら、心の中で考え続けた。
☆☆☆
「大丈夫です。いま、自分の部屋に戻りました。」
美波が言うと、栗栖は話し始めた。
『確認と手配が済みました。まず、私が気分が悪いと言う事で、救急の受付から中に入ります。そこで病院内の見取り図と、病棟に入るためのパスコードを受け取った後、私たちを治療室に案内する振りをして、病院内に導いてくれます。あとは、十五分以内に絢子さんのいる病室に辿り着く必要があります。』
「十五分以内?」
『ええ、特別病棟に入るには、ワンタイム・パスコードが使用されていて、救急のナースステーションで発行されたパスコードは、十五分で失効してしまうんです。そのパスコードがないと、特別病棟には入棟できなくなってしまうんです。ただ、出る時は、入った時のパスコードで出る事は出来ます。ただし、これも三時間以内と言う制限付ですが、三時間もいたら捕まってしまうでしょうから、心配はないと思います。』
「いろいろと制限が多いんですね。」
美波は感心したように言った。
「でも、なんだか、普通の病院とは違うみたい。」
『そうです。近江病院には、臓器売買、それからカルト宗教団体との親密な関係から、違法な体外受精や監禁といった疑惑があります。その為とも言える、この堅固な守りは、疑惑を裏付けているようにも思えます。それに関しても、絢子さんを救出したら、疑惑をはっきりさせることができるのではないかと思っています。』
栗栖の言葉に、美波は黙って頷いた。
『美波さん、予定通り外出できますか?』
栗栖は心配そうに、問いかけてきた。
「大丈夫です。何時ごろ待ち合わせますか?」
『そうですね。あまり遅い時間に出歩かせるのは心配ですから、美波さんが嫌でなければ、そろそろお迎えに行きますが、よろしいですか?』
美波は時計を見つめた。
「わかりました。支度を済ませておきます。近くまできたら、携帯を鳴らしてください。すぐに出て行きます。」
美波が答えると、『わかりました。』とだけ言って、栗栖は電話を切った。
(・・・・・・・・一応、敦に頼んでおこう・・・・・・・・)
美波は考えると、荷物をまとめて衣服を確認した。それから敦の携帯を鳴らした。
『はい、もしもし。』
「敦、わたし。美波。」
美波が言うと、敦はすぐに機嫌が良くなった。
『どおした、美波。今日は、土曜日だぞ!』
「敦、いま家にいる?」
美波が言うと、敦はとてもつまらないという声で返事をした。
『そうだよ。美波が誘ってくれないから、家で金曜日も土曜日も、日曜日も一人だよ。』
「良かった。」
美波が言うと、敦は面白くなさそうな声をだした。
『良くないよ。』
「ごめん。そういう意味じゃなかったの。」
美波は言うと、続けて話しはじめた。
「あのね。今から、敦に会いに行こうと思って。家にいなかったら困るなって思ったの。」
『これから? じゃあ、俺がそっちに行くよ。』
敦らしい答えが返ってきた。
「じゃあ、とりあえず会いに行くから、こっちに来るのはそれからでいいから。」
美波は言うと、荷物を手に取った。
『危ないから、迎えにいくよ。』
そういう敦に、『すぐ行くね』とだけ言うと、美波は電話を切り、部屋の中を見回した。
帰りの遅い美波を心配して、有紀子が部屋を覗いても、どこに行っているのかが分かるものは、すべて隠してあった。
「これでよし。」
美波はつぶやくと、自分の部屋を後にした。
階段を駆け下りると、居間で本を読んでいる有紀子に声をかけた。
「出かけてくるね。敦と会って、智と会うから。帰るまで、敦に来てもらうから。」
「心配しなくても大丈夫よ。敦ちゃんにも、自分の生活があるんだから。」
有紀子が言うと、美波は笑って見せた。
「敦ね、家を出てうちに下宿しようかなって言ってたよ。ママのほうが優しいって。」
「そんな事あるわけないでしょ。」
有紀子は言うと、立ち上がって玄関まで送ってくれた。
「気をつけてね。美波、最近、黒い服好きね。」
有紀子は怪訝な声で言った。
「そう? そういう訳じゃないけど。」
美波は言うと、手早く靴を履いた。
「じゃあ、行ってきます。」
「いってらっしゃい。」
有紀子に送られて、美波が家を後にし、ほんの数歩行ったところで、走ってくる敦に行き会った。
「敦。来なくていいって言ったのに。」
美波が言うと、敦は美波の荷物を持ってくれた。
「家で話せないんなら、うちもまずいだろ。車ん中か、喫茶店に行こう。」
敦は言うと、車に向かって先に歩き出した。
車に乗ると、敦はすぐにエンジンをかけた。
「美波が嫌でなかったら、大通りのファミレスに行こう。明るいし。こんなに暗いと、美波と二人っきりでドキドキしてきちゃうからな。」
敦は冗談めかして言うと、美波の荷物を怪訝そうに見つめた。
「美波、家出するわけじゃないんだろ? 何だこの荷物、ずいぶん重いけど。」
「ちょっとね。ファミレスでいいよ。」
「そうか。じゃあ、行こう。」
敦は言うと、美波の荷物を後部座席に置き、車を発進させた。
☆☆☆
美波は、不安と期待の中で金曜日の夜を迎えた。明日には、絢子に逢えるのだと思うと、美波の足どりは空を飛べそうなほど軽かった。そんな美波の気持ちを重くしているのは、智との喧嘩の事だった。
美波としては、智と出会った時から、もっと遡ってしまえば、絢子が死んだと知らされた時から、能力(ちから)の事を誰かに話すつもりは全くなくなっていた。しかし、絢子が助かって帰ってくるとなると、美波の生活は今までとは一変してしまう事が想像できた。
物理的な距離が力の強弱を作用する事がある美波と絢子の場合、絢子を護るためには、美波は絢子と共に逃げ回る事が必要になってしまうかもしれないからだった。
絢子が戻ってくれば、美波の能力(ちから)はいまと比べ物にならないくらい強くなってしまうし、そうなれば、智に内緒に済まそうとしていた美波の計画は完全に狂ってしまう。
小雨の降る窓の外を眺めながら、美波は明日には雨が上がるように祈り続けた。
土曜日の朝を迎えた美波は、夜のためにいつもよりゆっくりと朝寝を楽しんだ。
早起きの智が迎えに来ないことを怪訝に思いながらも、有紀子は何も訊かなかった。この間の喧嘩を見れば、急ぎ足で婚約まで駆け続けた美波と智の間に、新たなステージが始まったとも考えられた。
美波は遅めのブランチを済ませると、前回の冒険の時と同じく、動きやすい服装に着替えたが、有紀子に怪しまれないように、その上からスカートをはいたりしてごまかした。
昼間のうち、美波は部屋で読書をしたりして時間を過ごしたが、陽が暮れ始めると、美波は携帯電話と本を見比べながら、時間が経つのがもどかしく感じ始めた。
栗栖からの電話がないまま、とうとう夕飯になってしまった。
最近では珍しい、智のいない二人だけの夕食に、有紀子は残ったおかずの山を見上げた。
「まいったわね。智さんがいないと、こんなに残るものかしら。」
有紀子は言うと、いつもより食が進んでいない美波の事を見つめた。
「美波、食欲ないの?」
「うん、なんとなく。」
美波は、有紀子に悟られないように、笑って見せた。
「後で智と出かけるから、その時ちょっと食べるし。」
美波が言うと、有紀子は仕方なさそうに頷いた。
「わかったわ。気をつけてね。」
有紀子は言うと、片付けを始めた。
携帯電話が鳴り始め、美波は走って二階の部屋へと上がっていった。
(・・・・・・・・なんだか、すごく嫌な感じがするわ。良くない事が、起こらなければ良いけれど。そういう感覚、美波の方が優れてるはず・・・・・・・・)
有紀子は洗い物をしながら、心の中で考え続けた。
☆☆☆
「大丈夫です。いま、自分の部屋に戻りました。」
美波が言うと、栗栖は話し始めた。
『確認と手配が済みました。まず、私が気分が悪いと言う事で、救急の受付から中に入ります。そこで病院内の見取り図と、病棟に入るためのパスコードを受け取った後、私たちを治療室に案内する振りをして、病院内に導いてくれます。あとは、十五分以内に絢子さんのいる病室に辿り着く必要があります。』
「十五分以内?」
『ええ、特別病棟に入るには、ワンタイム・パスコードが使用されていて、救急のナースステーションで発行されたパスコードは、十五分で失効してしまうんです。そのパスコードがないと、特別病棟には入棟できなくなってしまうんです。ただ、出る時は、入った時のパスコードで出る事は出来ます。ただし、これも三時間以内と言う制限付ですが、三時間もいたら捕まってしまうでしょうから、心配はないと思います。』
「いろいろと制限が多いんですね。」
美波は感心したように言った。
「でも、なんだか、普通の病院とは違うみたい。」
『そうです。近江病院には、臓器売買、それからカルト宗教団体との親密な関係から、違法な体外受精や監禁といった疑惑があります。その為とも言える、この堅固な守りは、疑惑を裏付けているようにも思えます。それに関しても、絢子さんを救出したら、疑惑をはっきりさせることができるのではないかと思っています。』
栗栖の言葉に、美波は黙って頷いた。
『美波さん、予定通り外出できますか?』
栗栖は心配そうに、問いかけてきた。
「大丈夫です。何時ごろ待ち合わせますか?」
『そうですね。あまり遅い時間に出歩かせるのは心配ですから、美波さんが嫌でなければ、そろそろお迎えに行きますが、よろしいですか?』
美波は時計を見つめた。
「わかりました。支度を済ませておきます。近くまできたら、携帯を鳴らしてください。すぐに出て行きます。」
美波が答えると、『わかりました。』とだけ言って、栗栖は電話を切った。
(・・・・・・・・一応、敦に頼んでおこう・・・・・・・・)
美波は考えると、荷物をまとめて衣服を確認した。それから敦の携帯を鳴らした。
『はい、もしもし。』
「敦、わたし。美波。」
美波が言うと、敦はすぐに機嫌が良くなった。
『どおした、美波。今日は、土曜日だぞ!』
「敦、いま家にいる?」
美波が言うと、敦はとてもつまらないという声で返事をした。
『そうだよ。美波が誘ってくれないから、家で金曜日も土曜日も、日曜日も一人だよ。』
「良かった。」
美波が言うと、敦は面白くなさそうな声をだした。
『良くないよ。』
「ごめん。そういう意味じゃなかったの。」
美波は言うと、続けて話しはじめた。
「あのね。今から、敦に会いに行こうと思って。家にいなかったら困るなって思ったの。」
『これから? じゃあ、俺がそっちに行くよ。』
敦らしい答えが返ってきた。
「じゃあ、とりあえず会いに行くから、こっちに来るのはそれからでいいから。」
美波は言うと、荷物を手に取った。
『危ないから、迎えにいくよ。』
そういう敦に、『すぐ行くね』とだけ言うと、美波は電話を切り、部屋の中を見回した。
帰りの遅い美波を心配して、有紀子が部屋を覗いても、どこに行っているのかが分かるものは、すべて隠してあった。
「これでよし。」
美波はつぶやくと、自分の部屋を後にした。
階段を駆け下りると、居間で本を読んでいる有紀子に声をかけた。
「出かけてくるね。敦と会って、智と会うから。帰るまで、敦に来てもらうから。」
「心配しなくても大丈夫よ。敦ちゃんにも、自分の生活があるんだから。」
有紀子が言うと、美波は笑って見せた。
「敦ね、家を出てうちに下宿しようかなって言ってたよ。ママのほうが優しいって。」
「そんな事あるわけないでしょ。」
有紀子は言うと、立ち上がって玄関まで送ってくれた。
「気をつけてね。美波、最近、黒い服好きね。」
有紀子は怪訝な声で言った。
「そう? そういう訳じゃないけど。」
美波は言うと、手早く靴を履いた。
「じゃあ、行ってきます。」
「いってらっしゃい。」
有紀子に送られて、美波が家を後にし、ほんの数歩行ったところで、走ってくる敦に行き会った。
「敦。来なくていいって言ったのに。」
美波が言うと、敦は美波の荷物を持ってくれた。
「家で話せないんなら、うちもまずいだろ。車ん中か、喫茶店に行こう。」
敦は言うと、車に向かって先に歩き出した。
車に乗ると、敦はすぐにエンジンをかけた。
「美波が嫌でなかったら、大通りのファミレスに行こう。明るいし。こんなに暗いと、美波と二人っきりでドキドキしてきちゃうからな。」
敦は冗談めかして言うと、美波の荷物を怪訝そうに見つめた。
「美波、家出するわけじゃないんだろ? 何だこの荷物、ずいぶん重いけど。」
「ちょっとね。ファミレスでいいよ。」
「そうか。じゃあ、行こう。」
敦は言うと、美波の荷物を後部座席に置き、車を発進させた。
☆☆☆