MAZE ~迷路~
 大通りのファミリーレストランに入ると、敦はウェイトレスに禁煙席を頼んだ。
 窓辺の四人がけの席に案内された二人は、いつもと同じく向かい合わせに座った。
「どうした? 智のことか?」
 メニューを広げて美波に見せながら、敦はさりげなく問いかけた。
「違うよ。まあ、喧嘩してるといえば、喧嘩してるけど。」
 美波は答えながら、豪華な盛り付けのフルーツパフェの写真に目を輝かせた。
「それ、絶対バナナのってるぞ。」
 美波が見つめている写真に気がついた敦は、すかさず言った。
「敦バナナ好きだったよね。」
 美波は言いながら、まだ諦めていないようだった。
「美波、クリームが多いと気分悪くなるぞ。」
 敦の言葉に、美波は仕方なくページをめくった。次のページには、『合成着色料を炭酸水で溶かしています』と、言っているような、クリームソーダが載っていた。
「わたし、クリームソーダ。」
 美波が言うと、敦はじっと美波のことを見つめた。
「ティンクがいなくなってから、初めて。」
 美波の言葉に、敦は美波と智の不仲の原因が絢子にあると確信した。
「美波。絢子ちゃんとの想い出を分かち合う相手が俺じゃ不服?」
 敦が言うと、美波は敦のことを見つめ返した。
「智がどうのってわけじゃないんだ。ただ、絢子ちゃんを知ってる俺にとって美波と想い出を分かち合うのは苦痛じゃないし、悲しい想い出だけど、楽しい、大切な思い出でもあるんだ。でも、絢子ちゃんを知らない智にそれを求めるのは、智にはつらいかもしれない。」
 敦の言葉に、美波は瞳を曇らせた。
「智にとって、智と美波の生活には、最初から絢子ちゃんは存在してないんだ。絢子ちゃんは違う世界の人なんだよ。だから、それをおばさんや俺みたいに、絢子ちゃんのことを分かち合おうとすると、無理が、しわ寄せがどこかに出ちゃうんだよ。」
「敦も、ティンクが死んだと思ってるの?」
 美波の言葉に、敦は絶句した。
「俺だって、絢子ちゃんが、どこかで生きていてくれたらいいと思ってる。美波、美波は、もう十分過ぎるくらい苦しんでる。」
 無言で頭を横に振る美波の姿に、敦は言葉を飲み込んだ。
「美波、悪かった。美波の話、聞きに来たんだよな。」
 敦は言うと、ウェイトレスを呼んでコーヒーとクリームソーダを頼んだ。
「美波、コーヒーはセルフサービスだから、取ってくる。」
 敦は席を立ちながら言うと、まっすぐにドリンクバーのコーナーへと歩いていった。

(・・・・・・・・もう十分過ぎるくらい美波は苦しんでる。美波を解放してほしいって思うことは、やっぱり罪なんだろうか。苦しむ美波を見続けるくらいなら、俺が代わりに死んだ方がましだ・・・・・・・・)

 敦は考えながらコーヒーを注いでいると、カップからあふれたコーヒーが指にかかった。
「あつっ!」
 敦は叫ぶと、条件反射でコーヒーカップから手を放した。
 『ガッシャン』という音と共に、真っ白いカップは粉々に砕け散り、コーヒーが辺り一面に撒き散らされた。
「お客様、お怪我はございませんか?」
 あわてて飛んできたウェイターの声も、霧の向こうから聞こえてくるように、ぼんやりと遠く感じた。
「お客様、お怪我はございませんか?」
 カップの破片を片付けながら問いかけるウェイターの声に、初めて敦は返事をした。
「すいません。コーヒーが手にかかって、つい・・・・・・。」
 驚いた美波も、足早に敦の所に駆けつけてきた。
「敦、大丈夫?」
「ああ、大丈夫。ちょっとコーヒーがかかっただけ。」
「火傷してない?」
 心配げに敦の手を取る美波を敦は、いきなり抱き寄せた。
「おさ・・・・・・。」
 驚いて、問いかける美波の声を敦が遮った。
「何も言うな。」

(・・・・・・・・もし、あの日に時間が戻せるんなら、俺が代わりに死んでも絢子ちゃんを助けてやるのに・・・・・・・・)

敦の想いが、美波の心に流れ込んできた。
 突然の行動に、ウェイターは何も聞かずに片づけを黙々と済ませて奥に帰っていった。
「もう、苦しむな。美波、幸せになるんだ。智なら、絶対に幸せにしてくれる。」
 敦は自分に言い聞かせるように言った。
「敦、ありがとう。わたし、コーヒー煎れて持って行ってあげるから、席に戻ってて。」
 美波に言われて、敦は頷きながら席に戻っていった。テーブルには、いつの間にかクリームソーダが運ばれていた。
 コーヒーカップを手にした美波は、すぐに席に戻ってきた。
「敦、心配かけてごめんね。」
 美波は言うと、敦の前にカップを置いた。
「ごめんな。美波のことが心配でたまらなくなることがあるんだ。」
 敦も言うと、ちょっと照れくさそうにコーヒーに口をつけた。
「敦に頼みがあるの。今日ね、どうしてもやりたいことがあるの。それで、ママが一人になっちゃうの心配だから、敦、今晩、家にいてくれる?」
 美波の言葉に、敦は首をかしげた。
「今晩って、智も一緒か?」
「ちがう。大切な友達のお兄さんと。」
 美波の言葉を聞いた敦は、すぐに過保護な兄の顔つきになった。
「おばさん知ってるのか? 大切な友達のお兄さんって、本人は来ないのか?」
「本人は亡くなったの。」
 美波の言葉に、敦は身を乗り出した。
「だめだ。絢子ちゃんの家族とは係わり合いになるな。」
 一瞬、敦に計画を悟られたのかと思った美波だったが、すぐに敦が絢子の義兄と誤解していることに思い当たった。
「違う。違う。わたしとティンクの大切な友達、翔悟のお兄さん。」
 美波の口から、『翔悟』という名前を聞くのは初めてではない気がした。
「わかった。相手の人、名前くらいは教えておいてくれ。」
 敦は言うと、美波の考えを変えさせるのは諦めることにした。
「栗栖さん、栗栖(くりす)万年(たかとし)さん。」
 その名前に聞き覚えがある気がして、敦は何か不吉なものを感じたが、それ以上はなにも言わないことにした。
「それで、帰りはその人が責任を持って美波を送ってくれるんだな。」
 再び、過保護な兄に戻りながら、敦は言った。
「そう。だから、敦はママをお願いね。」
 美波は言うと、にっこり笑って見せた。
「わかった。それが話か?」
 敦は釈然としないものの、仕方なく納得した。
「さっき、敦、時間を戻せるならって言ったよね。」
 言ってしまってから、美波はあわてて口をつぐんだ。

(・・・・・・・・あれ、あの時、俺、口にしたっけ・・・・・・・・)

 敦は考えながら、頷いた。
「ああ、そう思ってた。」
「私、その事を話したいと思ってたの。」
 美波は言うと、敦のことを見つめた。
「私ね、ずっと考えてたの。時間を戻せるんなら、私、何とかしてティンクを助けたいって。」
 美波の言葉に、敦は何度も頷いて見せた。
「でも、そうしたら、時間の流れそのものが変わってしまうかもしれない訳だし、美波は智との将来を失うことになるかもしれないんだぞ。」
 敦の言葉に、今度は美波が頷いて見せた。
「わかってる。私、それでも、ティンクを助けたいと思ってるの。それって、私、智のこと本当に愛してないのかしら?」
 美波が言うと、敦は難しい表情を浮かべた。
「美波にとっては、絢子ちゃんが一番大切なんだから、智への想いと同じものさしで計ろうとするのは、間違いなんじゃないかな。ただ、その事を智に理解してもらうのは、無理だろうな。」
「そうだよね。」
 美波が言葉を続けようとしたとき、携帯電話が鳴り始めた。
「はい、・・・・・・・・私です。表通りにあるファミリーレストランにいるんです。わかりました、じゃあ、五分後に。」
 美波は言うと、電話を切った。
「敦、じゃあ、よろしくね。」
 美波は立ち上がりながら言うと、敦に笑って見せた。
「そこまで一緒にいくよ。」
 敦は言うと、椅子から立ち上がった。

☆☆☆

 約束の場所に敦が車を止めると、車の中から栗栖が降りてきた。
「敦ありがとう。」
 美波は言うと、車から降りて栗栖の方へと歩いていった。
「気をつけて。」
 なんど口にしたか思い出せないほど繰り返した言葉を敦は、再び口にした。
 美波は笑いながら手を振ると、栗栖の方に向き直った。
「お待たせしました。」
 美波が言うと、栗栖は美波のためにドアーを開けてくれた。
「彼の車に比べると、乗り心地が悪いと思いますが、少しの間なので我慢してください。」
 栗栖が言うと、美波は笑い返した。
「大丈夫です。」
「そうですか。じゃあ、行きましょう。」
 栗栖はそう言ってドアーを閉めると、軽く敦の方に会釈してから車に乗り込んだ。

☆☆☆

 敦は、栗栖の車が走り去るのを見届けてから、車を発進させた。走りなれた道を走り、車を駐車場に止めてから、携帯で家に電話をかけた。
「もしもし、あ、俺。今日、おばさん一人らしいから、俺、おばさん家に行くから。ん、わかった。おやすみ。」
 言いたいことだけ言うと、敦は電話を切り、車から降りて歩き始めた。
 玄関のベルを鳴らすと、有紀子はすぐにドアーを開けてくれた。
「もう、美波ね。自分が智さんと出かけるからって、敦ちゃんにお守りを押し付けるなんて。まったく。敦ちゃん、ごめんなさいね。私なら、一人でも大丈夫よ。」
 有紀子は言うと、敦のことを見つめた。
「ああ、俺、おばさん好きだから、おばさんが嫌でなければ、こっちに泊まりたいな・・・・・・。」
 敦は言うと、あつかましくならない程度に、笑って見せた。
「入って、夕飯は?」
「まだです。食べるの忘れてました。」
 敦が言うと、有紀子はうれしそうに笑って見せた。
「ちょうど良かったわ。夕飯どっさり残ってるの。好きなだけ食べていいわよ。お釜が空になっても怒らないから。」
 有紀子の言葉に、敦は飛び上がって喜んで見せた。


 食事を食べながら、敦は心の中にある疑問を口にしてみた。
「おばさん、最近、美波の様子おかしくないかな?」
 敦が言うと、有紀子はじっと敦のことを見つめた。
「敦ちゃんもそう思う? じつは、私もなの。最初は、結婚の話がまとまったでしょ、だから、それでちょっと不安定なのかなって思ってたんだけど、どうも違う気がするのよね。」
「なんで結婚決まると不安定に?」
 敦は興味をひかれて、問い返した。
「男の人もそうだと思うけど、これで一生拘束されるんだって思う瞬間があるのよ。幸せなんだけど、なんだか早まったかなって、不安になる瞬間があるの。だから、その瞬間をうまくかわせないと、結婚間近で破談なんて事になるわけ。」
 有紀子の言葉に、敦は納得して頷いた。
「そうか、やっぱりそんなもんなんだ。」
 敦が言うと、有紀子は笑って見せた。
「でも、美波、何があったのかな? この間の智との喧嘩だって、変だったし。」
 敦は思い出しながら、つぶやいた。
「そうね。智さんは美波の心変わりが怖いみたいだったわ。やっぱり、近くに敦ちゃんがいるから、意識するんでしょうね。」
 有紀子の言葉に、敦はすこし口を尖らせた。
「美波が、智が良いって言うんだから、俺には出番はないんですよ。どうせ、俺はどこまで行っても美波のお兄ちゃんだから。」
 そういうと、敦はため息をついた。
「でもね、恋人でもなく、友達でもなく、本当に相談に乗ってくれる敦ちゃんみたいな人がいて、美波は幸せだわ。一番、人生で大切なものよ。」
 有紀子の言葉に、敦は嬉しそうな顔をして見せた。
「そのうち俺も美波に、恋人ができたんだって報告できるようになりたいですよ。」
 敦が言うと、有紀子も敦に笑い返した。

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