MAZE ~迷路~
事件の捜査は、急転直下の勢いで進み始めた。
いままで黙秘を続けていた絢子が、美波として証言を始めたことにより、栗栖は、当然のことながら重要参考人として出頭を求められた。
栗栖は、院長の近江が早上(さがみ)徳恵(のりえ)の失踪事件に関与し、近江(このえ)絢子の誘拐、監禁の主犯であること。そして栗栖は、徳恵の身柄と引き換えに、粟野原美波の誘拐、監禁に協力する事を約束したと自白した。
更に、栗栖は徳恵の死に関しての証言も行ったが、その証言内容が内容だけあり、栗栖の証言自体の信憑性を疑う者もあったが、その点は、証言と一致する場所で、徳恵と思えるバラバラ死体が発見された事もあり、報道規制によって、栗栖の異常とも言える一部の証言は公にされることはなかった。
しかし、絢子の両親の死亡事故や、夛々木哲の自殺に見せかけた殺害に関しては、栗栖の証言だけでは立証する事のできない点が多く、最終的には、迷宮入りのまま放置される事になった。
また、特別病棟の敷地から、多数の乳児の遺体が発見された事もあり、大々的に敷地内を掘り起こす捜索が行われた。その結果、行方不明となっていた、近江氏の長男、近江将(まさ)臣(おみ)の白骨化した遺体が回収された。
将臣の遺体回収は、閉ざされていた、もう一人の証人の口を開かせる事に繋がった。
長い間、事件に関して完全な黙秘を続けていた、近江夫人、近江定子(さだこ)が証言を始めたことにより、事件は新たな展開を迎えた。
東子は、政(かず)臣(おみ)が婿養子という形で、近江家に入って以来、カルト宗教団体と思える団体に多額の寄付を行い続けていた事、更には、養女である絢子に、性的虐待を加えていた事を証言した。
定子は、絢子が病棟に監禁されていた事は知らなかったが、政臣が絢子に対し、異様なまでの執着を持っていたこと、そのカルト団体に息子の将(まさ)臣(おみ)が入信していた事、更には、将臣が絢子に対し、政臣と同じような性的関心を持っていたことを証言した。
政臣は、定子に対し、将臣は宗教団体の慈善活動に参加し、海外で医療活動を行っていると話していたが、将臣からの連絡はなく、定子が将臣の居場所を尋ねても教えることはなかった。また、定子が沈黙を守り続けていたのは、一重に将臣の無事を祈るばかりであり、将臣が遺体となって発見された今、これ以上の沈黙は捜査の妨害にしかならないと決心した上での証言だった。
☆☆☆
美波との決別を決心した後も、智は事件の行方を案じ続けていた。
美波のいない智の生活は、限りなく空虚なものであったが、それでも時間は無情にも流れ続けていった。
最初のうち、美波を想い出させるすべての物が憎くて、手当たり次第にダンボールに投げ込んでいた智も、日々の生活を取り戻していくうちに、失ったものの大きさをしみじみと感じるようになっていた。
(・・・・・・・・本当に、このままで良いんだろうか?・・・・・・・・)
自問自答を繰り返しても、答えは結局、出はしなかった。
美波を深く想うが故に、激しい嫉妬から破局の道を選んでしまった智だが、冷静さを取り戻してみれば、智は、『さとる』という人物が、どこの誰かという事すら知らない事に気がついた。
(・・・・・・・・今更、何を言っても無駄だよな・・・・・・・・)
智は、考えながら部屋中に広げられたダンボールの箱を片付け始めた。
箱の中には、今では懐かしいとも思える、あの冒険の下準備に使った本や、図書館でプリントしてきた資料なども含まれていた。
『殺人犯、判決を待たずに獄中自殺!』
偶然開いた雑誌の見出しが、智の目を吸い寄せた。
『警視庁は、夛々木(たたき)哲(さとる)被告(二四歳)の死亡を確認したと発表した。夛々木被告は、事件当時交際中だったA子さんを殺害し、死体を遺棄した事件の公判中だった。夛々木被告は、事件の重要参考人として取調べを受けた後、拘留・起訴された。夛々木被告は無実を主張し、起訴事実を全面的に否定していた。夛々木被告の証言によると、事件当日、夛々木被告と、被害者のA子さんは、ドライブ先で昼食を摂った後、異常な睡魔に襲われ、夛々木被告が最後にA子さんを目撃したのは、被告自身が昏睡状態で発見された車中の事だったと証言していた。夛々木被告は、事件との関与を全面否定していた。しかし、目撃証言によると、夛々木被告が被害者のA子さんを殺害現場と思われる場所に連れ出す様子が目撃されており、夛々木被告の証言と目撃証言は真っ向から食い違っていた。「A子さんの為にも、無実を証明して、一日も早くA子さんを探し出したい。」と、意欲的だった夛々木被告の突然の死に、弁護側も当惑の色を隠せない様子だった。』
記事に目を通していた智は、思わず声を上げると雑誌を取り落とした。
(・・・・・・・・まさか、さとるって、絢子さんを殺した犯人の夛々木って男?・・・・・・・・)
智の耳に、敦の声がよみがえった。
(・・・・・・・・記事を読んでも容疑者の名前が苗字しか出てこなかったのは、公判の最中に自殺していたからか・・・・・・・・)
智は考えると、大きなため息をついた。
(・・・・・・・・美波、俺の事、ひどい男だと思っているよな・・・・・・・・)
智は、再び大きなため息をつくと、雑誌を箱の中にしまった。
「俺って、馬鹿だ。」
智は、誰に言うでもなく、つぶやいた。
電話のベルが鳴り始めたのは、そのすぐ後の事だった。
「はい、倉矢(くらや)です。」
智が名乗っても、相手は黙ったままだった。
「もしもし、倉矢です。」
智は辛抱強く、もう一度名乗ってみたが、それでも相手は無言のままだった。
「もしもし?」
智は語調を荒立てて、もう一度問いかけた。
『敦だ。』
聞こえてきたのは、懐かしい敦の声だった。
『最近、留守番電話が多いから、メッセージを残すつもりで、お前が出たから驚いたよ。』
敦の声を懐かしいと感じるほど、今の智は暖かい人間関係に飢えていた。
「どうしたんだ?」
寂しさを気取られないように言うと、智は敦の返事を待った。
『明日、美波が退院する。事件も一段落ついたし、怪我も治ったし。一応、知らせておこうと思って。でも、余計なお世話だったかな。』
敦の声は、明らかに気まずさを絵に描いたような声だった。
「おめでとう。元気になって良かったな。」
本当は、もっと言いたい事があったはずなのに、想いは言葉にならなかった。
『お前も、元気で頑張れよ。それから、おじさん、来月の頭に戻ってくるから・・・・・・。』
そう言ってから、『関係なかったな』と言って、敦は言葉を飲み込んだ。
「知らせてくれてありがとう。」
智は言うと、電話を切った。
美波との関係が終わってしまったとしても、敦のとの間には、友情が残っているはずだった。しかし、智の中の何かが、そんな甘えを許さなかった。
智は、鳴る事のない携帯を取り出すと、いつもの花屋に電話をかけた。
「すいません、配達をお願いしたいんですが・・・・・・・。」
智が言うと、馴染みの店員が嬉しそうに応対してくれた。
『いつものバラですね。わかりました。カードはどうしますか?』
智は躊躇したものの、カードはつけないで送ってもらう事にした。
『わかりました。間違いなくお届けします。』
いつもと様子の違う智に、店員は心配げな様子だったが、智は何も言わずにそのまま電話を切った。
☆☆☆
絢子にとって、美波の部屋は玉手箱のようだった。
「ああ、このぬいぐるみ覚えてる。」
絢子は言うと、美波のぬいぐるみを手に取った。
「そうやってると、美波そのものに見えるんだけどな。」
敦はつぶやきながら、絢子が美波の部屋の発掘を開始するのを見守り続けた。
「あ、これ。」
しばらくすると、絢子は突然、ぜんまいの切れた人形のように動かなくなった。
「どうした?」
敦は言うと、心配げに覗き込んだ。
絢子が見ていたのは、綺麗な箱に収められた絵だった。
「へえ、うまいもんだな。美波が絵を描いたとは、知らなかった。」
敦が言うと、絢子は頭を横に振った。
「違う。これ、私が美波にあげたの。」
絢子は言うと、涙を浮かべ始めた。
「美波、ずっと大切にしてくれてたんだ。ずっと、ずっと。私の事、信じて待っててくれたのに、私ったら、それなのに、美波を殺しちゃった。美波に、誰よりも幸せになって欲しかったのに。」
あの日以来、自分を責め続ける絢子に、敦も有紀子も、美波の事は何も言わなかった。
「大丈夫だよ。美波は生きてる。いまに、一緒になれる。」
敦は言いながら、何の確証もないのに、気休めを言っている自分が悲しかった。
(・・・・・・・・たとえ、中にいるのが絢子ちゃんだって、美波が泣いている事に変わりはないんだ。本当に、何とかする方法がわかれば・・・・・・・・)
敦は考えると、悔しくてたまらなかった。
「敦さん、優しいのね。」
絢子は言うと、敦の事を見つめた。
敦が本当は翔悟ではない事を知ってからも、絢子は敦を頼るようになっていた。
「でも、敦さんが好きなのも、美波なんだよね。」
絢子は言うと、涙をぬぐった。
『そんな事ないよ』と、言おうとした敦だったが、何を言っても気休めにしかならない事に、敦は苛立ちを感じながら沈黙を守った。
「仕方ないんだ。美波は、私が惚れてるんだから、私が好きになる人が美波を好きになるのは、当たり前なんだ。」
絢子は言うと、少し笑って見せた。
(・・・・・・・・ちょっと待った。今のって、絢子ちゃんは俺が好きだってことか?・・・・・・・・)
敦は考えながら、絢子の潤んだ瞳を見つめ返した。
「絢子ちゃん、俺が・・・・・・。」
そこまで言って、敦は言葉を飲み込んだ。
(・・・・・・・・中に入っているのが絢子ちゃんであっても、体は美波で、美波は本来なら、今頃は智と結婚してるはずだった。こんなの良くない。このまま俺が、美波の体に入った絢子ちゃんと恋に堕ちるなんて、許されない・・・・・・・・)
敦は自分を戒めると、いつも美波の頭を撫でるように、絢子の頭を撫でた。
「俺がついてる。心配事があったら、何でも相談してくれ。」
敦は言うと、『下にいるから』とだけ言って、美波の部屋を後にした。
☆☆☆
いままで黙秘を続けていた絢子が、美波として証言を始めたことにより、栗栖は、当然のことながら重要参考人として出頭を求められた。
栗栖は、院長の近江が早上(さがみ)徳恵(のりえ)の失踪事件に関与し、近江(このえ)絢子の誘拐、監禁の主犯であること。そして栗栖は、徳恵の身柄と引き換えに、粟野原美波の誘拐、監禁に協力する事を約束したと自白した。
更に、栗栖は徳恵の死に関しての証言も行ったが、その証言内容が内容だけあり、栗栖の証言自体の信憑性を疑う者もあったが、その点は、証言と一致する場所で、徳恵と思えるバラバラ死体が発見された事もあり、報道規制によって、栗栖の異常とも言える一部の証言は公にされることはなかった。
しかし、絢子の両親の死亡事故や、夛々木哲の自殺に見せかけた殺害に関しては、栗栖の証言だけでは立証する事のできない点が多く、最終的には、迷宮入りのまま放置される事になった。
また、特別病棟の敷地から、多数の乳児の遺体が発見された事もあり、大々的に敷地内を掘り起こす捜索が行われた。その結果、行方不明となっていた、近江氏の長男、近江将(まさ)臣(おみ)の白骨化した遺体が回収された。
将臣の遺体回収は、閉ざされていた、もう一人の証人の口を開かせる事に繋がった。
長い間、事件に関して完全な黙秘を続けていた、近江夫人、近江定子(さだこ)が証言を始めたことにより、事件は新たな展開を迎えた。
東子は、政(かず)臣(おみ)が婿養子という形で、近江家に入って以来、カルト宗教団体と思える団体に多額の寄付を行い続けていた事、更には、養女である絢子に、性的虐待を加えていた事を証言した。
定子は、絢子が病棟に監禁されていた事は知らなかったが、政臣が絢子に対し、異様なまでの執着を持っていたこと、そのカルト団体に息子の将(まさ)臣(おみ)が入信していた事、更には、将臣が絢子に対し、政臣と同じような性的関心を持っていたことを証言した。
政臣は、定子に対し、将臣は宗教団体の慈善活動に参加し、海外で医療活動を行っていると話していたが、将臣からの連絡はなく、定子が将臣の居場所を尋ねても教えることはなかった。また、定子が沈黙を守り続けていたのは、一重に将臣の無事を祈るばかりであり、将臣が遺体となって発見された今、これ以上の沈黙は捜査の妨害にしかならないと決心した上での証言だった。
☆☆☆
美波との決別を決心した後も、智は事件の行方を案じ続けていた。
美波のいない智の生活は、限りなく空虚なものであったが、それでも時間は無情にも流れ続けていった。
最初のうち、美波を想い出させるすべての物が憎くて、手当たり次第にダンボールに投げ込んでいた智も、日々の生活を取り戻していくうちに、失ったものの大きさをしみじみと感じるようになっていた。
(・・・・・・・・本当に、このままで良いんだろうか?・・・・・・・・)
自問自答を繰り返しても、答えは結局、出はしなかった。
美波を深く想うが故に、激しい嫉妬から破局の道を選んでしまった智だが、冷静さを取り戻してみれば、智は、『さとる』という人物が、どこの誰かという事すら知らない事に気がついた。
(・・・・・・・・今更、何を言っても無駄だよな・・・・・・・・)
智は、考えながら部屋中に広げられたダンボールの箱を片付け始めた。
箱の中には、今では懐かしいとも思える、あの冒険の下準備に使った本や、図書館でプリントしてきた資料なども含まれていた。
『殺人犯、判決を待たずに獄中自殺!』
偶然開いた雑誌の見出しが、智の目を吸い寄せた。
『警視庁は、夛々木(たたき)哲(さとる)被告(二四歳)の死亡を確認したと発表した。夛々木被告は、事件当時交際中だったA子さんを殺害し、死体を遺棄した事件の公判中だった。夛々木被告は、事件の重要参考人として取調べを受けた後、拘留・起訴された。夛々木被告は無実を主張し、起訴事実を全面的に否定していた。夛々木被告の証言によると、事件当日、夛々木被告と、被害者のA子さんは、ドライブ先で昼食を摂った後、異常な睡魔に襲われ、夛々木被告が最後にA子さんを目撃したのは、被告自身が昏睡状態で発見された車中の事だったと証言していた。夛々木被告は、事件との関与を全面否定していた。しかし、目撃証言によると、夛々木被告が被害者のA子さんを殺害現場と思われる場所に連れ出す様子が目撃されており、夛々木被告の証言と目撃証言は真っ向から食い違っていた。「A子さんの為にも、無実を証明して、一日も早くA子さんを探し出したい。」と、意欲的だった夛々木被告の突然の死に、弁護側も当惑の色を隠せない様子だった。』
記事に目を通していた智は、思わず声を上げると雑誌を取り落とした。
(・・・・・・・・まさか、さとるって、絢子さんを殺した犯人の夛々木って男?・・・・・・・・)
智の耳に、敦の声がよみがえった。
(・・・・・・・・記事を読んでも容疑者の名前が苗字しか出てこなかったのは、公判の最中に自殺していたからか・・・・・・・・)
智は考えると、大きなため息をついた。
(・・・・・・・・美波、俺の事、ひどい男だと思っているよな・・・・・・・・)
智は、再び大きなため息をつくと、雑誌を箱の中にしまった。
「俺って、馬鹿だ。」
智は、誰に言うでもなく、つぶやいた。
電話のベルが鳴り始めたのは、そのすぐ後の事だった。
「はい、倉矢(くらや)です。」
智が名乗っても、相手は黙ったままだった。
「もしもし、倉矢です。」
智は辛抱強く、もう一度名乗ってみたが、それでも相手は無言のままだった。
「もしもし?」
智は語調を荒立てて、もう一度問いかけた。
『敦だ。』
聞こえてきたのは、懐かしい敦の声だった。
『最近、留守番電話が多いから、メッセージを残すつもりで、お前が出たから驚いたよ。』
敦の声を懐かしいと感じるほど、今の智は暖かい人間関係に飢えていた。
「どうしたんだ?」
寂しさを気取られないように言うと、智は敦の返事を待った。
『明日、美波が退院する。事件も一段落ついたし、怪我も治ったし。一応、知らせておこうと思って。でも、余計なお世話だったかな。』
敦の声は、明らかに気まずさを絵に描いたような声だった。
「おめでとう。元気になって良かったな。」
本当は、もっと言いたい事があったはずなのに、想いは言葉にならなかった。
『お前も、元気で頑張れよ。それから、おじさん、来月の頭に戻ってくるから・・・・・・。』
そう言ってから、『関係なかったな』と言って、敦は言葉を飲み込んだ。
「知らせてくれてありがとう。」
智は言うと、電話を切った。
美波との関係が終わってしまったとしても、敦のとの間には、友情が残っているはずだった。しかし、智の中の何かが、そんな甘えを許さなかった。
智は、鳴る事のない携帯を取り出すと、いつもの花屋に電話をかけた。
「すいません、配達をお願いしたいんですが・・・・・・・。」
智が言うと、馴染みの店員が嬉しそうに応対してくれた。
『いつものバラですね。わかりました。カードはどうしますか?』
智は躊躇したものの、カードはつけないで送ってもらう事にした。
『わかりました。間違いなくお届けします。』
いつもと様子の違う智に、店員は心配げな様子だったが、智は何も言わずにそのまま電話を切った。
☆☆☆
絢子にとって、美波の部屋は玉手箱のようだった。
「ああ、このぬいぐるみ覚えてる。」
絢子は言うと、美波のぬいぐるみを手に取った。
「そうやってると、美波そのものに見えるんだけどな。」
敦はつぶやきながら、絢子が美波の部屋の発掘を開始するのを見守り続けた。
「あ、これ。」
しばらくすると、絢子は突然、ぜんまいの切れた人形のように動かなくなった。
「どうした?」
敦は言うと、心配げに覗き込んだ。
絢子が見ていたのは、綺麗な箱に収められた絵だった。
「へえ、うまいもんだな。美波が絵を描いたとは、知らなかった。」
敦が言うと、絢子は頭を横に振った。
「違う。これ、私が美波にあげたの。」
絢子は言うと、涙を浮かべ始めた。
「美波、ずっと大切にしてくれてたんだ。ずっと、ずっと。私の事、信じて待っててくれたのに、私ったら、それなのに、美波を殺しちゃった。美波に、誰よりも幸せになって欲しかったのに。」
あの日以来、自分を責め続ける絢子に、敦も有紀子も、美波の事は何も言わなかった。
「大丈夫だよ。美波は生きてる。いまに、一緒になれる。」
敦は言いながら、何の確証もないのに、気休めを言っている自分が悲しかった。
(・・・・・・・・たとえ、中にいるのが絢子ちゃんだって、美波が泣いている事に変わりはないんだ。本当に、何とかする方法がわかれば・・・・・・・・)
敦は考えると、悔しくてたまらなかった。
「敦さん、優しいのね。」
絢子は言うと、敦の事を見つめた。
敦が本当は翔悟ではない事を知ってからも、絢子は敦を頼るようになっていた。
「でも、敦さんが好きなのも、美波なんだよね。」
絢子は言うと、涙をぬぐった。
『そんな事ないよ』と、言おうとした敦だったが、何を言っても気休めにしかならない事に、敦は苛立ちを感じながら沈黙を守った。
「仕方ないんだ。美波は、私が惚れてるんだから、私が好きになる人が美波を好きになるのは、当たり前なんだ。」
絢子は言うと、少し笑って見せた。
(・・・・・・・・ちょっと待った。今のって、絢子ちゃんは俺が好きだってことか?・・・・・・・・)
敦は考えながら、絢子の潤んだ瞳を見つめ返した。
「絢子ちゃん、俺が・・・・・・。」
そこまで言って、敦は言葉を飲み込んだ。
(・・・・・・・・中に入っているのが絢子ちゃんであっても、体は美波で、美波は本来なら、今頃は智と結婚してるはずだった。こんなの良くない。このまま俺が、美波の体に入った絢子ちゃんと恋に堕ちるなんて、許されない・・・・・・・・)
敦は自分を戒めると、いつも美波の頭を撫でるように、絢子の頭を撫でた。
「俺がついてる。心配事があったら、何でも相談してくれ。」
敦は言うと、『下にいるから』とだけ言って、美波の部屋を後にした。
☆☆☆