さまよう爪
「あんなこと」

何となく、小声になってしまう。

「なに?」

「……」

口ごもっていると、わたしの言わんとしていることを理解したのか、瀬古さんは、あーはいはい、そういうことね。といったように。

「あの、ね?  小野田さん」

瀬古さんの声もいつのまにかトーンダウン。ばつが悪そうな顔。

こちらだってどう接すればいいのか正直わからないのだ。つとめて普通にするようにしているだけ。

「きみがいるんだからついてったりしないし、ああいうのはその場の空気とかあるじゃない」

あるじゃない?

「キスもですか」

「そう。しかしあんなぐいぐいくるとはちょっとね。股に膝当ててくんだよ。びっくり」

「……言わなくていいですよ」

「なにむくれてんの? 俺にだって好き嫌いあるよ。女の子だったら誰でもいいわけじゃないし。あ、でも男に勃つなって言うことは、息するなと同じくらいのものだと思っていただければ」

何を言ってるんだこの男は。

しかも淡々と。

「……聞いてませんそんなこと」

瀬古さんは自分のうなじを撫でる。

「じゃあどうしたら機嫌なおしてくれる? 俺は何をすればいい? さっきの彼女たち呼んできて何もなかったって言ってもらおうか? 俺のせいでそうなったんなら謝るよ。ごめんね」

こんなのただのわたしのワガママだ。

ダメだ。

こんなのは。

「……ごめんなさい」

さっきより深く頭を下げる。

「わたしは、瀬古さんの思うような女じゃないですよ」

深入りして傷つくのも嫌だし。何も聞かず逃げようとするわたしは、すごく卑怯だ。
< 82 / 179 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop