伯爵令嬢シュティーナの華麗なる輿入れ
 また柔らかな笑顔を向けてくれる。おおかた食べ終わってしまったので、なんだか寂しい気がする。そして、料理とはまた別な寂しさがシュティーナの胸に去来する。

(ここを出たら、そしたら、屋敷に帰って……)

「あ、あの」

 シュティーナは彼を呼び止めた。

「はい」

「あの、お名前は」

「……サムと申します」

「サム様、ですね」

「はい、シュティーナ様」

 名を呼ばれ、ドキリとした。胸に手を当て、顔を真っ赤にしてうつむくシュティーナを見てサムは焦ったように言う。

「失礼しました。先ほどそう呼ばれていらっしゃったので……」

「い、いえ……大丈夫です」

 シュティーナは注いで貰った水を一気に飲み干した。ソワソワと窓の外を見ていたリンが椅子から腰を浮かす。

「シュティーナ様、そろそろ……」

 時間を気にせずゆっくりできるわけではなかったことを思い出す。

(もう、行かなくては)

「そ、そうね。あの、とても、とても美味しかったです。最高に、それはもう」

 本当はもっと盛大に美味しかったことを伝えたかったのだけれど、どう言ったらいいのか分からなかったシュティーナはしどろもどろになってしまった。

「走り出したいほどに、美味しかったです」

「は、走り」

「あ、いえ、あの」

(わたし、なにかおかしなことを言ったかな)

 目を丸くするサムを見て、シュティーナは気の利いたことを言えなかったと気付く。こんなことなら家令のイエーオリに男性の心をもっと勉強しておくのだったと後悔した。

(イエーオリなら男心と女心どっちも詳しそう。お父様とお兄様より)

 背が高く整った顔にグレーの頭髪を撫でつけ眼鏡をかけたイエーオリを思い出すシュティーナだった。

「ありがとうございます。また、是非いらしてくださいね」

「あ、はいっ! また!」

 サムにそう言われて嬉しくなり、思わず勢いよく立ち上がってしまったから、テーブルの食器がガチャガチャと鳴った。


「お嬢様、行きましょう」

 リンは先に店を出ようとしている。早く帰路につかないと、遅くなってしまうと急いている。サムはシュティーナを出口までエスコートし、礼儀正しく送り出そうとしてくれている。

(彼は、この町の住人なのだろうか。この店が住居なのだろうか。ああ、もっとお話をしたいけれど、なにを話せばいいのかな)

 シュティーナはどうしたらいいのか分からなかったので、短かったが、楽しい時間を提供してくれたサムに対して

「ありがとうございます」と笑顔を向けた。感謝の気持ちだった。


「『青葉の祭り』まで、もうすぐですね」

「そ、そうですね。町が益々生き生きして見えますね。屋敷にいると、分からなくて……」

「お屋敷は、ここから遠いのですか?」

「そ、そうでもないのですが」

(脱走してきたなんて、言えない)

 シュティーナは、隣に立つサムのことを気にしながら、もじもじと指のささくれたところをむしった。痛かった。次の言葉を探していると、リンがそばに来た。

「シュティーナ様。広場の露店で焼き菓子を買って帰りましょう」

「いいわね。リン、頼める? わたしここで待っているわ」

 リンがおや、といった表情でシュティーナを見る。すぐににっこり笑った。

「すぐ戻りますので、こちらでお待ちください。サム様、少しのあいだよろしいでしょうか?」

「承知しました」

 まだ食べるのかと思われそうで恥ずかしかったが、空気を読んでくれたリンに感謝すべきだろう。


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