鬼の生き様



 江戸には山口のような年端もいかない遣い手がいる。

(まだだ、まだ試衛館に戻るには早い)

 あの篠原道場での死闘というのは、歳三にとって忘れられない出来事となっていた。
歳三の行商生活はまだ続くのであった。


 江戸ではコレラが大流行していた。
ほぼ全国に蔓延し猛威を振るった時疫はコレラであったが、当時は、「暴瀉病」「虎狼痢」「見急」などと呼ばれた。

 コレラは、脱水の結果、意識不明や痙攣をおこし数時間で死亡する恐ろしい疫病であり、最初日本に上陸したのは文政五年(1822年)であった。

 文政五年に初上陸し西国を中心に流行したコレラは、その三十六年後の安政五年(1858年)に二度目の日本上陸を果たしたのであったが、人々はこの疫病が激しい吐瀉と下痢を伴い、即日あるいはわずか二、三日でころりと死に至る場合が多々あることから、これを「コロリ」と呼んで怖れていた。

 対馬の人々がこの疫病を「見急」と呼んだのも、朝に元気な姿を見せていた人が夕には死んでいるという程の劇症を怖れてのことであった。

この疫病、安政コロリに羅病し死亡した者は江戸市中だけで三万人とも二十六万人とも言われている。


(異人のせいで、コロリが大流行した。
勝っちゃんは気組でコロリも逃げ出しちまいそうだが、惣次郎は体も弱そうだし大丈夫かな)

歳三はそんな事を思いながら今日も江戸の町を歩いていた。

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