生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

78.生贄姫は祈りを込める。

 城内のテオドールの執務室のドアがノックもなく開く。
 誰が入って来たのか、ドアが開くより早くから分かっていたテオドールは視線一つよこさず、

「何の用だ?」

 と低く抑揚のない声でそう尋ねた。

「そうしてると、死神って名がぴったりだな。この距離でも集中してないと、意識持っていかれそうだ」

 ぞっとする程の威圧感にいつもの余裕さを潜めたルイスが壁にもたれてそう言った。
 準備をすすめながら視線だけルイスに寄越す。

「随分な人数の再教育だからな。殺さないのは骨が折れる」

 準備の整ったテオドールの立ち姿は、見るものに畏怖の念を抱かせる。
 何度見ても慣れる事のできない、いつもとは全く違う雰囲気にルイスは揶揄う言葉すら見つけられない。

「首尾は?」

「お前の依頼を一度でもしくじった事があるか?」

 ない。
 少なくとも今までは、一度も。

「正直、今回は嫌がるかと思ったよ」

 大事なものができて、穏やかに笑う事が増えたテオドールに、その生活の代償に汚れ役を押し付ける自分は我ながら酷い兄だなと思う。

「……高嶺の花、なんだ。俺には勿体無いくらいの」

 適当な人間関係しか結んで来なかった自分が、特定の誰かに笑っていて欲しいと願う日が来るとは思わなかった。

「大人しく囲われて、泣かずにいてくれたらと思うのに、本人がそれを良しとしない。ならば、俺は俺の出来る事をするしかないんだろう」

 それでリーリエが笑って過ごせるのなら、動く理由はそれだけで十分な気がした。

「高嶺の花、か。テオドール、一個いい事を、教えてやる」

 ルイスは手首を指して肩を竦める。
 先程チラッとだけ見えたテオドールの手首には、翡翠色の組紐が巻かれていた。

「それ、リリが編んだんだろ? リリみたいに魔力が低い人間が、組紐に魔力を込めて編むのは、本来なら身を削る行為に等しいらしくてめったにやらない。リリならもっと高度で価値の高い魔道具作れるし。それをあえてやる意味、お前に分かるか?」

 それに込められたのは、最愛に向けた、最大限の祈りと願い。

「……なんだそれ、重っ」

「テオ、セリフと顔が合ってない」

 僅かだが、親しい人間なら分かる変化。死神にこんな顔をさせられる人間なんて、きっとこれから先もいない気がする。リーリエは別の意味で人質だなと、ルイスは苦笑した。

「リリの調査依頼、つついたせいで厄介な方に転がりそうってだけ伝えとこうと思って」

「厄介?」

 ルイスは内容には触れず、

「テオ、悪いな」

 とだけ口にして踵を返す。

「……やめろ、お前に謝られるとか槍でも降りそうでごめんだ」

 ルイスは振り返ることなく軽く手を上げてそのまま部屋から出ていった。
 ルイスの背を見送ったテオドールは外に目をやる。晴天が崩れ始め、風が出てきて、雲の流れが早い。嵐にならなければいいが、と内心でそう呟いた。
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