いちばん、すきなひと。
高校デビューというやつ。
春に全てを桃色に染めた木々が、青々と茂る季節になる。
新しいクラスにも馴れてきた。

私は、美術部に入った。
ひたすら絵を描く事に集中できるこの時間が、とても楽しい。

そして、急激にめまぐるしく変わった環境の中で
唯一の、安らぎの場所になっていた。


前の席に座る近藤さんは、優子のように『女』を知っていた。
毎日を楽しむ方法を色々教えてくれる。
髪型であったり、制服の着こなし方だったり、またはちょっとしたメイクの方法だったり
持っている小物なども、私とは全く違う物ばかりでとても刺激になった。

彼女は元がすこぶる良いという訳でなく、自分を綺麗に見せるのが上手だ。
気さくな性格も桂子と似た部類の人間のようで、安心する。

ずっとショートだった髪の毛を、伸ばすように言ったのも近藤さんだ。
「みやのっちは長いほうが絶対可愛いよ。伸ばしてみたら?」
そんな風に言ってくれる人、今までいなかった。
私が避けていたのだろうか。

優子とも昔はそんな話をよくしたハズなのに
彼女に言われてやった事は、いつも成果が出なかった。

素材である自分が悪いせいだと思っていた。

けれど、近藤さんのアドバイスは少し違うようで
「ホラ、こうするといいじゃん」
と、効果を実感できる。

ショートヘアでもアレンジは自在。
ピンの使い方さえ覚えれば、伸ばしかけの髪型も楽しめる。

初めて、フェイスパウダーという物を買った。
優子が使っているのを見た事はある。
自分には要らないと思っていた。

「みやのっちは肌綺麗だもんねー要らないって思うよね。でも、これでもっと綺麗に見せられるよ」
近藤さんは私のアドバイザーのように
次から次へと、面白い事を教えてくれる。

楽しい。
何故今まで気付かなかったんだろう。
自分に合う方法さえ見つければ、自分を磨くのも苦痛じゃない。
今まではそれができなかっただけなのだ。


野々村は、何も言わなかった。
別に、私がどうこうしようが関係ないようだ。
そりゃそうか、当たり前か。

友人なら変化のひとつや二つ、言ってくれても良さそうなモノなのに。
アイツはコンタクトに変えた時、やたらアピールしてきたではないか。

松田は相変わらず軽いノリで色々つついてくる。
「みやのっち、毎日変わるね〜」
「そう?そんなに毎日あれこれ変えてる覚えないんだけど」
そんなに毎日、必死で何かしてるわけではない。

確かに、鏡に向かう回数は増えた気がする。

「いやいや、変わりすぎっしょ」
松田は私を指差して笑う。
バカにしてるなコイツ。

「何、変わったらダメなの?」
「いやいや、そーいう訳じゃなくて。」
「じゃ、何よ」
「いいよ、可愛くなった。」

思いがけない松田の言葉に、私は思わず言葉を失った。

初めて、言われた。
可愛くなった、と。

これは、どう反応すればいいのだろう。
素直に受け止めていいのだろうか。
いやしかし相手は松田だ、フザけてる可能性もある。

一瞬、止まりかけた頭を無理やり回転させ、無難な台詞を探す。

「褒めてもノートは見せないよ。」
「えっ」

「アンタ……ノート目当てだったの?」

やっぱり
コイツこんな奴だよな。
野々村と同じ、人種。

そりゃコイツら仲いいハズだわ。

松田は、何か取り繕うようにぎこちない笑顔をしながら、宙を見て言葉を探している。
「いやノートはついでに見せてくれたらラッキーかなーぐらいで……」

何のついで、だよ。
呆れてる私の隣から

「みやのっちのノート借りるのは俺〜」

突然さりげなく間に入って私の前に手を出す野々村。
コイツ……

「何。」
不機嫌そうに素っ気なく言ってるのに
彼はまったく動じない。
「だーかーらっ、歴史のノートっ」
さも当たり前のように言ってくる。

腹立たしい。

「ダメ。今日は気が乗らないから却下」
ノートを胸に抱えて断る事にした。

「えーっ何でだよー」
二人がハモる。

「特に野々村、アンタは別にノート要らないでしょ。松田も私ばっか頼りにしないでたまには自分で授業受けたら?」

「クッ……痛いトコロを……」
松田が顔をしかめる。
野々村のノートは面白くないと言い放ち、彼は机に突っ伏した。
「俺、次の歴史の授業寝るっ」

何故寝る。

「ほらほらー松田がどんどん落ちこぼれて行くぜー。みやのっちー助けてやれよー」
野々村がわざとらしく言ってくる。

彼が落ちこぼれるのは、私のせいではない。

「知らん。ここに入ったのも松田の努力と実力なら、ちゃんと学んで授業について行くのも本人の努力と実力っ!」


ここまできたら私も引き下がれない。

私の決意が通じたのか、二人とも諦めたようだった。


チャイムが鳴り、授業が始まる。
私は思いがけない言葉が胸にひっかかり、授業に集中できずにいた。

それにしても。
松田が言っていたのは本当に……ノート目当ての適当な台詞だったのだろうか。

それでも、やっぱり。
褒められると嬉しくなる私はバカだろうか。
例え、相手が松田でも。


野々村はどう思っているんだろう。
聞けないけど。

何も言わないって事はやっぱり
関係ないから、なのかな。

そう考えると悲しくなる。でも実際、そうなのかもしれない。

私だけが、ひとり空回りしてるだけ。
バカみたい。



だけど松田がああ言うって事は一応、レベルが上がったと思っておこう。

野々村以外の、他の子に認められるようになったら。
私を見る目も変わるかもしれない。






学校というのは、暗黙のランクが存在する。
中学でもそうだったが、高校のほうが顕著だ。

細かく分けるとキリがないので、大まかに分けると3つのランクになる。

トップはもちろん、流行に敏感なモテる感じの明るい子たちが集まる。

二番目は、そこそこ興味はあるけどモテるわけでもなく。ごく普通の子。

三番目は……そんなの関係ない、と独自の道を行く。楽しけりゃそれで良い。

成績はそれぞれ、さほど関係ない。
頭が悪かろうと、顔が良けりゃ学校生活は楽しめるのだ。
ただ、その先の保証はない。


私は、ずっと二番目のあたりにいた気がする。それでもどちらかというと、下の方。
三番目の人の方が、近い気がしていた。
だけど、開き直る勇気もなく。そこそこ周りに合わせていた。

おしゃれなんて、自分磨きなんて自分には縁がないと思っていた。
やっても無駄だと思っていたからこそ、明るいこんな男まさりなキャラで生きてきた。
その方が気楽。期待されないから、しなくて済む。

だけど。
心の底では、憧れていた。

優子や直子、桂子みたいに
可愛いって、美人って言われたかった。

だけどそれは、持って生まれたものがあるから。自分には縁がないと思い込んでいた。


それが。
気づけば、クラスのトップの子たちと話す機会が増えた。
「みやのっち、そのポーチ可愛いね。どこで買ったの?」
そんな一言がきっかけだった。
それから他の持ち物の話になり、コスメやメイクの話になり。
彼女たちから、流行のショップやファッションの話を聞く事となる。

トップの子たちは、毎日楽しそうだった。
文具ひとつにしても、こだわりがある。可愛いものを揃えて授業を楽しむ。
ファッションなんて、ぽっちゃりの部類の私には縁のない話だった。
が、この春に少し努力したおかげでこの話題にもついていけそうだ。
いつも諦めていた服を、友達の話で着てみようかという気分にすらなる。

通学カバンも自由なので、流行のものに変えた。
それがまた、友達の間で話題になるのが楽しかった。


近藤さんの、おかげかも。
だけど彼女はトップの輪に入らない。

面倒だからと言っている。
華やかな所にもそれなりに苦労があるらしい。
女子校育ちの彼女はそれをよく知っているからこそ面倒だと、言い切れるのだ。

それでも私は、あの眩しい輪の中に入ってみたかった。
彼女たちは日々何を考えて生きているのかと。

いざ顔を突っ込んでみると最初、それはそれは刺激的で。
毎日がこんなに楽しいのかと、改めて思った。

だけどその一方で。
無理に背伸びをしようとしている自分に気付いていた。
その気持ちに蓋をしたまま波に乗ろうとしたが、やはり初心者に突然波乗りなどできるはずもなく。


それは何気ない会話から始まった。
「みやのっち、彼氏いないの?」

ギクリ、とした。
私は、恋愛経験がない。
いつも片思い。打ち明けても悲惨な結果のみ。

そしてその片思いすら、毎度誰にも打ち明けられない始末。

私は正直に、頷いた。
「えーみやのっち可愛いのにねー。つき合った事はあるの?」
突っ込まれる。
これは、感づかれただろうか……私が背伸びしている事に。

「うーん、残念ながら一度もそんなチャンスなくて」
私ダサいしね、と自虐的に言う。

彼女たちはさほど興味もなかったのか、ふーんと流しただけで
他の子たちの恋バナに花を咲かせ始めた。

何かに、つまずいた気がした。
窓からの暑い日差しが、夏の始まりを告げていた。
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