いちばん、すきなひと。
秘密の夏休み。
その後、部長はいつも通り午後からやって来た。
いつもより少し、早く来たような気もする。

彼の姿を見て、心臓が跳ね上がる。
いつもより素敵に見えるのは気のせいだろうか。
変に緊張する。
そしてーーやっぱりあれは、夢だったんじゃないかと思うほどに、不安になる。


彼は美術室に入るなり、私を見て驚いたようだった。
けれどもすぐに柔らかく笑う。
その笑顔で、あれは夢じゃなかったと確信する。
今朝、電話で話したせいか。
彼との気持ちの距離が、近いと感じる。

「……宮野さん早いね」
「……早く新しい絵を描きたくて、なんとなく早く来ちゃいました」
なんだか恥ずかしい。

他の部員も居るので、あからさまな顔や態度はいけない。
自分の気持ちを隠すのは、慣れている。
だけど
身体が火照るような、この感覚は。
どう取り繕えばいいのだろうか。

「新しい絵、もうイメージできてるの?」
私が新しいキャンバスに下絵を描いているのを見て、部長が私の所へ足を運ぶ。
「はい。帰り道の風景にしようかなと。」
「あの並木道、いいよね。特に夕方の感じとか」
「そうです、そうなんです!」
同じ気持ちであの景色を見てくれる人がいるなんて。
嬉しい。

私は思わず大きくなった自分の声に気付いて、慌てて口に手を当て周りを伺う。
由香が隣で笑いをこらえている。
しまった。

私は苦笑いで部長を見る。
「完成、楽しみにしてるよ」
彼は私の肩を軽く叩いてさらりとそう言うと、自分の席に荷物を置きに行った。

「あーみやのっち面白い。部長に話しかけられたからって何興奮してんの」
「んなっ……」
由香に言い当てられて、咄嗟に反論の言葉も出ない。
「まぁ、部長カッコいいもんね。分からなくもないわ。あーそれにしても面白かった」

由香は笑いすぎてお腹が痛いとぼやいている。
彼女は、私と部長に何があったかなんて知らないワケで。

私達後輩にとって部長は遠い存在。
離れた所から、憧れの眼差しで楽しむ程度なのだ。

それが今は、とても近い存在で。
嬉しくて恥ずかしい。

美術部でこれがバレると色々気まずそうなので何も言えないけど、心の中で少しだけ優越感に浸った。

ごめん、由香。


何でいつも私は、人に素直に言えない事ばかりなんだろう。
もっと、恋の話でみんなと盛り上がってみたいのに。

それを少し残念に思いながらも。
チラリと何気なく振り返ると、部長と目が合った。
優しく笑い返してくれる。
それがたまらなく嬉しくて、顔がにやけてしまう。

誰かに想われるって、凄い事だと分かった。
こんなにも、心があったかくなる。
足がまたふわふわしてきた。
マズイ、今は絵に集中しよう。

気持ちの切り替えを意識的に行う。
集中、集中……


キャンバスに向かってひたすら絵を描くけど
なんとなくソワソワしたままの午後だった。





その後も、毎日。
宿題が予定より早く終わった事も手伝って、
私は早目に部活に行くようになった。

夕方は最後までひたすら描いているので、自然と部長もそれに付き合い、一緒に帰る事となる。


あっという間の、二週間だった。
夏休みも終わりを迎える。

絵が、まだ完成しない。
ちょっとだけ、悔しかった。

締め切りまではまだ少し時間もあるのと、既にひとつ出せる作品があると言う事で。
夕方ギリギリまでは描いたものの、途中で切り上げる事にした。

皆、明日の始業式にそなえて早目に帰っている。
残っているのは、部長と私だけだった。

オレンジ色に染まる並木道を、いつもどおり二人で歩く。
「なんだかすいません……夏休みも今日で終わりなのに、こんな時間まで付き合ってもらって」

皆、夏休みって何して過ごしているんだろう?
それなりに、友達と遊んだり家族と出かけたりしてるんだろうか。


私はひたすら絵を描いた夏だった。
中学も部活まみれだったので、さほど苦ではない。
だけど。
隣の彼はどうなんだろう。

巻き込んだ感を、今更感じる。


下を向いて、影を踏みながら歩く。
部長の顔がまともに見れない。


ふいに、ぽんと頭に手を乗せられた。
そのまま撫でくりまわされる。
「夏休みだからこそ、だよ。俺は宮野さんと一緒にいられる時間が長くて嬉しかったから、毎日こうしているだけで……キミが気にする事じゃないんだよ。」

そうっと、隣で歩く部長の顔を見る。
「だけど、宮野さんがそんなに気を使うなら……俺としても申し訳なかったかな?」

少し困ったような顔で、そう言われると
「そっ……そんな事ないですっ。私はただ、その……私だけがこんなに色々してもらっていいのかなとか……私ばっかり幸せでいいのかとか」
私は何を言っているのだろうか。
顔が熱くてうまく言葉が出てこない。

部長が、歩みを止める。
並木道の終点、だ。

ふと、振り返って
二人で夕空の並木道を、眺める。

「やっぱり、ここからの眺めが一番……」
この風景を、目に焼き付けておこう。
携帯のカメラでは納めきれない、あの色と光。

「宮野さん」
部長が私の目を見る。
あ、この感覚。

周りが、無音になる。

心臓の鼓動だけが響く。
これは


「あの時は、勢いで色々と言ってしまったけど、後悔はしてないよ。改めてやっぱり思う……キミの事が好きだ。」

吸い込まれそう。
そう思った。
彼の目に、言葉に。
心が引っ張られる。

頭がぼうっとする。

どうしよう。
流されても、いいだろうか。

「あの時は一緒にいられるだけでいい、なんて言ったけど……時間が経てば経つほど好きになるんだ、もっと一緒にいたいって……」

また、声が出ない。
私は彼に、見惚れていた。
彼の声を、言葉を、一つたりともこぼさないように。

「……宮野さん、キミさえよければ。俺と、付き合ってくれませんか。」


ざぁっと、風が吹いた。


「…………」
何を言えばいいのか、分からない。
だけど。
この、身体の火照りと締め付けられる胸は
本物だと思った。

私は、彼に惹かれている。
彼を好きになっている。

心臓の音が耳の鼓膜すら震わせる。
ここは正直に、今の気持ちに流されたい。

素直に、なるんだ。


「……私も、ずっと……部長と一緒にいたい、です。」

改めて、想いを口に出すことの大変さを知った。
今までの告白の比じゃない。

これほど全身が波打つほどにドキドキするのは、初めてだ。

部長は、私の返事に驚いたようで
目を丸くし、そのあとすぐに優しく微笑む。

この、夕日がまたヤバイ。
なんでこんなにロマンチックになれるのだろうか。
周りが見えなくなる。

私の目には、部長しか映らない。
きっと、彼も同じでーーー

何かに引き寄せられるかのように
それはごく自然に。

2人の唇が触れ合った。
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