いちばん、すきなひと。
新学期が、始まる。
こんな事があるなんて思わなかった。
私は今、何をしたんだろうか。

本当に、無意識に。
惹かれ合う瞬間があるんだ。

あまりの出来事にぼんやりとしてしまう。
彼も、何も言わない。

でも、彼の
切なそうな目が、忘れられない。
もう一度、触れ合いたいとすら思ってしまう。
私、こんなに欲張りだったっけ?


「……遅くなるよ。帰ろう」
やっぱり彼は優しく私の頭を撫でる。
そして頬に、触れる。

眩暈がします。
おなか、いっぱいです。

私は頷いてまた彼と並んで
今度は手を繋いで、歩いた。


家の前で離れるのが、惜しい。


何事もなかったかのように、帰宅する。
頭の中はピンク色のまま。

スキップしたくなる気持ちを押さえて、ごく自然に過ごそうと取り繕うが
なんだかソワソワしてしまう。
何度も携帯を触ってしまう。

とうとう母から夕食時に
「何かいいことあったの?」
とまで聞かれる始末。

こりゃ駄目だ。
私じゃないこんなの。


何でもない、と誤摩化して。
すぐに自分の部屋へ戻る

夕食が、喉を通らなかった。
胸がいっぱいとはこういう事なのだろうか。


さっき会ったところなのに。
早く会いたい。
声が、聞きたい。

さっきの事を思い出すだけで
全身の血管が脈打つのが分かる。
これがホントの恋なんだろうか。

いてもたってもいられず。
ベッドにダイブし、枕に顔を埋める。


電話が震えた。
飛び起きて通話ボタンを押す。

「……もしもし?」
「……麻衣、ちゃん?」

名前で、呼ばれた。
もちろん、声はあの人。
さっきまで一緒にいた彼。

心臓が止まりそうだ。
寿命が縮まっているんじゃないだろうか。

「……はい。」
それしか言えない。
緊張と安心が混ざる。

「もう、夕食済んだ?今ーー電話してて大丈夫かな?」
「……はい。」

なにこれ。私どうしたんでしょうか。
こんなにオトメになれるとは。
恋の力、恐るべし。

窓から星空を眺めながら
二人で取り留めの無い話をした。

彼の声を聞くだけで、幸せな気分になる。
頭からずっとアドレナリンか何かが出ているらしい。
なかなか落ち着きそうにない。

全てが初めてで、とても新鮮で楽しい。
恋愛とはこういうものなのか。
あの、トップクラスの子たちが輝いて見えるのは
こういう理由があったのだろうか。

彼の声は甘く優しくて。
私はそれまでの迷いや悩みを全て、忘れた。
彼に、夢中になった。

そんなくすぐったい日が、いつまでも続くと思っていた。





翌日。
彼も同じ気持ちだったのだろうか。
朝、家を出て歩いていると
「麻衣ちゃん、おはよ」
この声は。

「……部長?」
私は驚いたものの、何故というより嬉しい気持ちが先で。
「おはよーございます」
と少々浮かれた声で挨拶をする。

「毎朝はちょっと恥ずかしいけど、今日くらいはいいかなって……遠回りしてみた。」
毎日でも私は構わないです、と言いたかったが。
さすがにやりすぎかと冷静に考える。

「……あはは、嬉しいです。」
素直にありがとうと伝える。
「今日は美術室使えないから活動は休みだけど……午後から予定ある?」
「あーそうですよね。始業式の後はさすがに先生も忙しいだろうし、今日くらいは休みでいいですよね。」
散々毎日描いたし、と笑って。
「午後からヒマです、空いてます。」
「じゃ、どこか行きたいトコない?」

どこかーーー行きたいトコ。
それは、つまり。
二人で出かけるという事で。

こんな事、漫画の世界だけだと思ってた。
こんなに普通にそんな話をする日が来るとは。

「……あは、私こういう経験なくって。どうしていいか分からないです……部長におまかせしてもいいですか?」
男性と縁のなかった私にとって、とても恥ずかしい話だったのだけど
彼は全く気にするそぶりもなく
「経験なんて関係ないって。」
と、笑って私の背中を小突く。

「そうだね、考えておくよ」
鞄を持ったまま、両手を頭の後ろに組んで
空を見上げてそう言った。

「帰りは?一緒に帰れます?」
なんとなく、聞いてしまったが
「……友達と帰ったりしないの?」
逆に心配されてしまった。

そういえば……と記憶をたぐる。

「美術部入ってから、一緒に帰る友達っていなくて。」
と、答えてから
あぁしまった、と思った。
「部長の都合もありますよね、ごめんなさい」
そうだ、私だけの都合じゃない。
彼には彼なりの、ライフスタイルがある。
友達との下校も大事な時間だ。

「麻衣ちゃんがいいなら、喜んで一緒に帰るけど?」
いやいや、そこまでしちゃうともったいないです。

などとは言えず。

「……友達との久しぶりの時間もちょびっと必要だと思います。一緒に帰りたいけど……明日のお楽しみにしておきます」
遠慮がちに言ってみた。

「…………麻衣ちゃん……ほんと可愛いね」
部長が驚いている。
何の事だろうか。

そんな台詞を簡単に言われるほうが参ってしまう。
きっと今、変な顔してる私。


そしてこんなタイミングで現れるのがーーーーーーアイツだ。

「みーやのっちー!おっはよー!」

忘れてた。
あまりにも色々な事がありすぎて、忘れたフリをしていた。

野々村。

今までずっとーーーーー私の好きな、人。


でも今は。
チラリと隣の彼を見る。
「友達?」
部長は興味有りといった顔で訪ねる。
「……クラスメイト、です」

なんとも居心地の悪さを感じながらも。
あくまで平然を装う事を自分に言い聞かせる。


野々村の前だと、キャラが変わってしまう。
粗雑な自分を、部長に見られたくない。

だけど、しおらしい私をコイツには見せたくない気もする。

「おはよー、あれ?松田は?」
「アイツは知らん。寝坊じゃねーか。昨日遅くまで宿題終わらん言ってたぞ」
「えーサイアクじゃんそれ。また見せろとか言ってくるんじゃないだろね」
「もーよく分かってんじゃん、みやのっち!ーーーーま、見せてもらうのは俺だけどな」
「なんで始業式早々にアンタにノート提出しなきゃならんのさ。サッサと先生に渡すから自力でやりな」
シッ、シッ、と犬でも追い払う仕草に、野々村はあからさまに口を尖らせる。
「えーいいじゃん、ちょっとだけ。ホームルームの直前にサクッと見せてくれたらいいから」
「えー」

いつもなら、仕方ないなと見せるんだけど。
どうしようか。

と、渋っていると
「じゃ、後でな。絶対見せろよ!」
勝手にそう言い放ち、先に行ってしまった。

数メートル先に、バスケ部の集団がいる。
そこに入ったようだ。

「もー……」
私が呆れて頬を膨らませていると、部長がくすりと笑った。
「麻衣ちゃんって優等生なんだ?いつもノート見せてるの?」
「優等生なんかじゃないですよー勉強は嫌いじゃないですけどね。アイツとは中学からの腐れ縁で、しょっちゅうノートの奪い合いというか……」
「そうなんだ。今度俺にもノート見せて」
「えっ、部長がノート見てもお勉強の役に立ちませんよー?」
「そうかな?一年前の復習に使えるかも」
「復習とか必要なさそうなのに……」
「俺を買いかぶってくれてるみたいだね、嬉しいよ。だけど実際は必死なんだって」
「えー、想像つかないですー」
あはは、と二人で笑い合う。

楽しい登校時間。
これからも、一緒にこうして学校に行きたい。


だけど。
アイツにこの状況をどう思われたのか、
気になった。
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