淡雪
「まぁいい。小槌屋に世話になってるのは結構前からだが、別に対談方として雇われているわけではない。まぁ用心棒も似たようなもんだがな。小槌屋は札差だし、これが使える浪人は、自ずとそういう役回りになるさ」

 言いつつ、ぽん、と己の腰にある刀を叩く。

「小槌屋さんとは、知り合いだったんですか?」

「いいや。田舎から出てきてぶらぶらしてたら、たまたま乱闘騒ぎに巻き込まれたのさ。行きがかり上助けたのが小槌屋の旦那で、まぁえらい気に入ってくれてな。こっちも懐が寂しかったし、運が良かったというわけさ」

「よく乱闘に巻き込まれるんですね」

 奈緒が言うと、男は、ん? と首を傾げた。

「私のときも、巻き込まれたじゃないですか。あ、でも巻き込まれたというよりは、自分から乱闘に飛び込んでいく感じでしたけど」

「ああ。はは、確かに。小槌屋のときは、白状すると下心があったんだな。身なりも良かったし、大店の旦那だったら、上手くいけば職にありつける」

 小槌屋は凄い大店ではないが、札差は儲かるので、男の目論見は成功したと言える。

「お嬢さんを助けたのは、男として当然というか。さすがに放っておけんだろ」

「助かりました。父に小者を連れて行けと言われてるんですけど、うちにいる小者なんておじいさんですから、ああいう場ではとんと役に立たないんです」

「それじゃ、今後ああいう手合いに絡まれたら、俺がやったように股座蹴り上げてやんな」

 笑いながら言う男に、奈緒は赤くなった。

「男にゃそれが一番効くぜ」

「そ、そんなこと……」

 もじもじする奈緒の頭上を、カラスが飛んでいく。
 男がもたれていた樫の木から身を起こした。

「また遅くなったら、妙な奴らに絡まれるぜ」

 ぱん、と己の尻を叩き、ゆっくり歩き出す。

「あのっ」

 呼び止めた奈緒に、男が足を止める。

「お名前をお聞きしても?」

 少しの間があり、男は再び歩き出す。
 ややあって、呟くような声が聞こえた。

「……黒坂(くろさか)」
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