淡雪
第二章
 それからしばらくは何事もなかった。
 だが家の中の、どこか浮かれた雰囲気は消え失せ、父の表情には苦悩の色が濃くなっていた。

「何じゃ何じゃ、この重苦しい空気は」

 そんな空気を吹き飛ばす勢いで姿を現したのは、父の上役、伊田だ。

「こ、これは伊田様。いかがなされました」

 左衛門が慌てて出迎える。

「良い良い、そう固くなるな。奈緒殿は息災か? 良太郎が会いたがっておるぞ。あ奴、婚儀まで待てぬようじゃ」

 豪快に笑いながら、伊田は左衛門に案内されて居間に入った。
 出された茶を啜り、おもむろに口を開く。

「わしが今日訪ねてきたのは他でもない。最近妙な噂を耳にしてのぅ」

「は……」

 平伏した左衛門の額を、汗が伝う。

「こちらの家に、頻繁に札差が出入りしておるらしいのだが」

 ぴく、と左衛門の肩が揺れた。
 それに目ざとく気付き、伊田は、ふぅ、と大仰に息をついた。

「やはりそうか。嫁入りは何かと物入りじゃろう。されどな、今しばしの辛抱じゃ。良太郎と奈緒殿の婚儀の暁には、わしがきっと取り立ててやる」

「も、もちろんでございます。持参金も、必ず用意いたします故」

「うむ。しかし借財が溜まればおぬしも心穏やかではいられまい。そこでじゃ」

 ぱし、と伊田が、扇を手に打ち付け、ずい、と身を乗り出した。
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