淡雪
「うひ。冷てぇ」

「あ、あの。どうぞ」

 奈緒が出した手ぬぐいを、男はちょっと怪訝な顔で見た。

「いいよ。汚れるぜ」

「でも濡れたまんまじゃ身体が冷えます」

「大丈夫だって。それよりあんたも結構泥跳ねてるんだから、どうせ汚すなら自分の泥拭いな」

 言われて自分の身体に視線を落とすと、確かに着物にも泥が飛んでいる。

「まぁそれも俺が汚したようなもんだしな。俺に貸すより、そっち拭きなよ」

「あの、助けて頂いて、ありがとうございました」

 がばっと頭を下げると、男はそのいきなりさと勢いに、ちょっと面食らったようだ。
 しばしぽかんとした後、ぱっと破顔した。

「はははっ。礼を言うなら、もうちょっと可愛く言いな。そんな怖い顔して言うもんじゃねぇぜ」

「えっ」

 怖い、と言われ、奈緒は咄嗟に両手で顔を覆った。
 実はよく言われるのだ。

 笑うのは苦手である。
 武家の一人娘として厳しく育てられたせいか、いつも険しい顔をしていると言われてきた。

「ま、怖い目に遭ったばっかだしな。笑える状況でもねぇか」

 すっかり綺麗になった足を下駄に突っ込み、男はもう一度、濡れた指で奈緒の頬を拭いた。

「うん、取れた」

 しつこくついていた泥を取ってくれたらしい。
 ひんやりとした指先は、一瞬で離れた。

「じゃあな。暗くなる前に帰れよ」

 夕焼けに照らされて、ひらひらと手を振りながら、男が鳥居のほうに歩いていく。
 その上背のある後ろ姿を、奈緒はぼんやりと見送った。
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