淡雪
第八章
 今日も小雨が降っている。
 奈緒は大門の傍の柳の陰で、花街のほうを眺めていた。

 神社で黒坂と会ってから、奈緒は毎日こうして花街を張っている。
 音羽は黒坂をどう思っているのだろう。

 揚羽でも捕まえられれば、音羽に繋いで貰うことも可能かもしれない。
 神社に頻繁に表れる黒坂の様子から、何となく待っていれば揚羽に会えるものだと思っていたが、どうもそうではないらしい。
 張り込んで三日ほど経つが、さっぱり揚羽は姿を見せない。

 外に買い物に行くには、大門を通るはず。
 ということは、ここしばらく外に用事がないのだろう。
 おそらくこの間に黒坂と会っていることもないはずだ。

---今日も駄目か---

 奈緒も一日中ここにいるわけではない。
 黒坂が神社に現れる時刻と、舟宿で見かけた時刻を考え、それより少し早い昼過ぎを中心に張っている。

 あまり長い時間、同じところに佇んでいると怪しまれる。
 昼でも昼見世をやっている見世があるため、人通りが途絶えることはないのだ。
 そういう人に見咎められるかもしれない。
 幸い雨続きで傘の陰に隠れることができるので、顔まで覚えられることはないだろうが。

 奈緒が柳の陰から通りに出たとき、ぱしゃぱしゃ、と軽い足音がした。
 振り向くと、大門を小さな禿が潜ってくる。

 揚羽だ。
 す、と奈緒は揚羽の前に進み出た。

「揚羽さんだったね。この前はどうも」

 奈緒が言うと、揚羽は、つ、と傘を傾けて顔を上げた。
 子供のわりに、冷たい無表情。
 その目を見た瞬間、奈緒は咄嗟に嘘をついた。

「あのね、黒坂様に言伝を頼まれたの。すぐに舟雅に来て欲しいって。お急ぎだったから、わざわざこちらから来たの」

 初めは素直に、音羽に会えるか聞いてみるつもりだった。
 が、揚羽と目を合わせた途端に、この子を稲荷神社に行かせたくない、と強烈に思った。

 揚羽が黒坂と会えば、その後逢引きがなされる。
 それを阻止してやる、という黒い心が湧き上がり、咄嗟に黒坂の名を出した。

 ここで黒坂の名を出せば、稲荷神社に行く用事はなくなるわけだ。
 さらに急ぎだ、と言うことで、買い物よりも先に言伝を伝えて貰うよう仕向ける。

 束の間揚羽は奈緒を見上げていた。
 怪しんでいるのかもしれないが、奈緒が黒坂の知り合いだということは、この前招き屋の店先で奈緒自身が口にしているのでわかっているはずだ。

 少し困ったような顔をした揚羽が、手に持った風呂敷に目を落とす。
 一旦帰るべきか迷っているのだろう。

「大事なお話があるそうだから、急いでね」

 そう言って、奈緒は踵を返した。
 背後に耳を澄ませると、少しの後、ぱしゃぱしゃと足音が遠ざかって行った。

 どうやら揚羽は招き屋に引き返したらしい。
 少し口角を上げ、奈緒は舟雅へと向かった。
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