今宵は遣らずの雨
「……瑞仙院さま」
初音の、声にならぬ呟きだった。
「初音、『たま』でかまわぬ。
わらわも、そなたを義姉上とば呼ばぬからな」
瑞仙院はふふふ、と微笑んだ。
母親譲りの美貌だが、その気性には父親譲りの豪胆さがあった。
「なにを呆けておる。
そんな甘ったれた気概で、この安芸広島新田藩の御世継ぎになるやもしれぬ『ややこ』を産めるとでも思うのか」
さも子を産んだかのように云うておるが、瑞仙院は仲睦まじかった夫との子には恵まれなかった。
だが、気丈な瑞仙院は、周防徳山藩のためと心を鬼にして、嫌がる志摩守に半ば無理矢理、側室を持たせた。
側室との間には二人、子が生まれた。
だが、二人とも娘であった。
だれもがそのうちの一人に婿を取って藩を継がせるもの、と思うていた。
ところが、志摩守は病で死ぬ間際に、弟である毛利 大和守 就馴を養嗣子にするよう云い遺していたのだ。
そして、二人の娘はいずれ、戸田 大隅守 忠喬の側室と坪内 美濃守 定系の側室として輿入れさせるように、ともあった。
正室であった瑞仙院には、新しい藩主の大和守の後見役として、国許へは戻らず江戸に定府するようあった。
たとえ死しても、志摩守が愛しい瑞仙院を再嫁させたくない気持ちが、そこにはあった。