仮面のシンデレラ《外伝》
見ると、時計は“午後11時30分”を指していた。
僕の家から、あの路地までは電車で数十分。
彼女の“門限”が迫っている。
「…日付が変わる前に、帰らなきゃいけないんだよね?」
彼女は、こくり、と頷いた。
外はいまだに雨の音がしている。
「…駅まで送ろうか?」
思ってもない言葉が自然と口から出る。
それは、ひどく物分かりのいい“建前”。
彼女がなぜ、危険を冒して秘密の通路を通り、ずぶ濡れになってまでここに来たのか。
一番よく分かっているつもりなのに、理性が邪魔をする。
“彼女の未来は奪えない”
足に絡みつく“重り”が、“本能”を止めた。
最後くらい、笑って別れるべきなのだろうか。
仮面のような笑みしか浮かべられない。
彼女は、俯いたままだ。
2人で、廊下を進む。
…カチャ…
彼女が、部屋の鍵を開けた。
扉の先に広がる曇天。
涙のような雨がざあざあと音を立てる。
「…送ってくれなくても大丈夫。」
小さく呟いた彼女に、僕はわずかに目を細める。
「…傘は?貸すよ。」
「…ううん、大丈夫。…返しに来れないかもしれないから。」
…キィ…
扉が音を立てる。
「…そんなの気にしなくていい。…ほら、使って。」
手渡した黒い傘を受け取る彼女。
その視線は交わらない。
やりきれない僕は、悪あがきをするように言葉を続ける。
「…エラ、やっぱり送ってく。」
「!」
「待ってて。今、車の鍵を…」
…と、僕が言いかけた
その時だった。
「…湊人くん…」
どしゃ降りの雨音にかき消されそうな声で
…だが、はっきりと、彼女の声が僕の耳に届いた。
「……帰りたく、ない……」