言い訳~blanc noir~
 千尋に会う事がどこか怖かった。

 フラッシュバックはこれまでに何度も経験した。しかし時の流れと共にそこに意識を向けず何とか自分自身でコントロールできるようになっていた。

 それでも春を肌で感じる季節になると、塞がっていた傷口が開き、血液が流れ出すかのように胸の奥がずきずきと疼く。

 そしてあの息苦しさに似た感覚に苛まれる。

 クロまでも春に息を引き取り、この世から春が消えてしまえばいいと本気で思うほど自分にとっては忌々しい季節だ。

 舞い散る桜の花びらも、生暖かいそよ風も、真新しいスーツに身を包む新人も。

 その全てを否定したくなる。

 先日クロの命日、そして、沙織の命日を迎えた事で精神が不安定になっているのだろうか。

 なぜ千尋と沙織が重なるのかその理由がどうしてもわからない。


 和樹はキッチンに立ち食後の洗い物をする千尋に視線を向けた。

 幅の狭い奥二重、丸みを帯びた鼻、少し厚めの唇、下膨れの輪郭。

 沙織と共通点なんか何も見つからない。

 身長にしても沙織より千尋のほうが僅かに高い。少し舌足らずで鼻にかかる甘えた話し方の沙織に対し、千尋は滑舌が良く、すっと通る声質の持ち主だ。

 あえて言えば長い黒髪がどことなく似ている気がするが、それはきっとこじつけというものだろう。


「紅茶いれますね」


 千尋が顔を上げると和樹と視線がぶつかった。

 和樹は慌てて笑顔を向ける。


「久しぶりにすき焼き食べました。一人暮らしだとなかなか作る事もなくて」

 言いながら、千尋がティーカップをテーブルに置いた。ティーポットから湯気が揺蕩う紅茶を注ぐとアールグレイの仄かな香りがその場に広がった。


「ごちそう様でした。美味しかったです」

「いえいえ」

 和樹の正面に腰かけた千尋は、はにかんだような笑みを浮かべ俯き気味に口を開いた。


「椎名さんとこうやって二人でいると緊張します」

「まだ慣れてもらえないんですか?」

「慣れないといけませんよね。結婚するんだし……。椎名さんは私といて楽しいですか?」

「楽しいですよ。楽しくなければ一緒にはいませんから」

 紅茶を口にしながらそう答えると千尋が気恥ずかしそうにまつ毛を伏せる。

「私、一目惚れしたなんてよく言ったなぁって自分に驚くんです。今まであんな言葉を言った事もないし、男性とまともに話した経験さえないんです。ご迷惑だったでしょ? 突然変な女から告白されて」

「僕もあんなにストレートに言われた経験がなかったのでちょっと驚きましたけど。でも迷惑とは思いませんでした。純粋に嬉しかったですよ」


 そんな言葉を千尋に掛けながらも、心のどこかで警戒する自分がいた。
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