恋華宮廷記〜堅物皇子は幼妻を寵愛する〜
「早く帰りなさい。屋敷はどこです」
にこりともしない厳しい顔で見つめられ、鳴鈴は恐縮した。
「すぐそこの徐家の屋敷です。どうか、お立ち寄りください。お礼を……」
なけなしの勇気を振り絞ったつもりの鳴鈴だったが、男は首を横に振る。
「礼には及びません」
男は鳴鈴を立たせ、自らの外衣を脱いで着せる。外衣は長く、地面についてしまった。
「お嬢様っ」
近くに駆け寄ってきた緑礼に警戒するように、男は無言で鳴鈴に背中を向けてしまった。立ち去ろうとする男に慌てて声をかける鳴鈴。
「お待ちください、せめてお名前を」
男はわずかに振り返り、首を横に振る。何も言わずに白馬に跨ったかと思うと、風のように走り去ってしまった。
その姿を魂が抜かれたように立ち尽くして見つめる鳴鈴を馬車に乗せ、護衛たちは一目散に徐家の屋敷を目指した。
(素敵なひと……。いったいどこのどなたかしら)
着せられた紺色の外衣はよく見ると、細やかな紋様が染め抜かれている。材質は絹で、上等なもののようだ。
温かいそれにすっぽりとくるまっていると、まるであの男に抱かれていると錯覚しそうになる。
(また会いたい)
鳴鈴は高鳴る胸の前で、ぎゅっと外衣を掻き抱いた。