俺様外科医と偽装結婚いたします
「いや。もう少しこのままで」
囁きかけてきた優しい声音が、言葉自体をさらに甘いものへと変えていく。私は先ほどと同じように環さんを抱きしめた。
「あの時、祖父さんも息苦しくなるほどきつく抱きしめてくれたっけ」
瞳を閉じて、銀之助さんが環さんを力一杯抱きしめる光景をまぶたの裏に思い描いた。
もしかしたらそれが、絆を結び直した瞬間だったかもしれない。
銀之助さんの優しい腕の中で環さんは泣いただろうか。
たとえそうだったとしても最後にはきっと満ちた心のままに彼は微笑んでいたと、私は思う。
想像の中の環さんがそうしているように、私も彼の胸に額をくっつけて笑みを浮かべる。
「咲良、ありがとう」
いつもどおり低く響いた声音は、いつもよりもたくさんの温かさが込められていた。
いつまでも喋っていたいようなそんな名残惜しい気持ちはあったけれど、住宅街に続く階段と斜張橋への分岐点で私は環さんと別れた。
昨日のお礼も兼ねてという名目で環さんを食事に誘うこともできたので、これで堂々と連絡することができる。
楽しみな予定ができたことに心踊らせながら自宅に戻ると、店の前で立ち話をするふたつの姿を見つけて私は大きく手を振った。