この空を羽ばたく鳥のように。
 



それから、本編で語れなかったこぼれ話を少し。


まずは津川家。
さよりの亡くなった明治6年、津川主水叔父さまの息子が生まれます。名前は酉彦さんです。

名前を見つけた時は「えっ、トリ⁉︎ 」と、勝手にこの小説との運命を感じちゃったりしてテンションあがっちゃいました。
実際は明治6年が酉年だったからだと思いますが…。

明治14年の旧斗南藩人名録(世帯主)の田名部村の項に津川酉彦さんの名前があります。
(星亮一著『会津藩 斗南へ』より)

ウィキペディアで以前検索した時は津川酉彦でヒットしたのですが、現在は理由は分かりませんが検索しても出ません。残念です。どなたか酉彦さんをご存知の方おりましたらぜひ教えていただきたいです。

なので、以前見た記憶をたよりに書いてますが、明治6年生まれが合ってたとして14年には世帯主って…まだ8歳くらいでは?主水叔父さま亡くなったの?と考えてしまいます。

明治31年に出版された『日本産鮫一覧図.第1編』の著者に津川酉彦さんの名前があります。
やはりトリ…サカナ……運命感じます。
消えたウィキでは同一人物とされてましたが、彼は20代の若さで亡くなったようです。


それから高橋家。
前述の明治14年旧斗南藩人名録の横浜村の項に高橋金吾さんの名前があります。
金吾さんのその後は分かりませんが、会津飯盛山にある白虎隊記念館には、ご子孫が寄贈された金吾さんとトシさんご夫妻の写真が展示されてます。


そして下平家。
おますちゃんの旦那さまとして選ばれた下平英吉さんは西南戦争で戦死してしまいますが、息子の下平英太郎さんはのちに海軍軍人となり、かの山本五十六元帥の指導に当たったこともあるそうです。戦艦「日向」の初代艦長も務めています。
会津の「なよたけの碑」で有名な善龍寺には、下平家代々のお墓がたくさんあります。その中心に英太郎さんが建立した大きな下平家の墓もあります。

下平家については、英吉さんの弟である英二さんのご子孫の方からご連絡をいただき、いろいろと教えてもらうことができました。このことについては巡り合わせにとても感謝しています。新しい発見もあり、勉強にもなりました。この小説を見つけていただき、本当にありがとうございました。貴重な出会い、これからも大切にしていきたいです。




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