ひと雫おちたなら
睦くんがひとり暮らしをしているというマンションの一室で、ダウンライトのあかりのなかで寄り添っていた。
昔みたいに、イヤホンを片耳ずつ分け合って、ベッドの中で音楽を聴いていたのだ。


「もう、何年も聴いてなかったな」

黒い半袖のTシャツからのぞく、長くてちょっと男らしい腕に、すらりとした指。
その指が私の携帯を操作しているのが見える。

「クラシックはご無沙汰?」

「そういうわけじゃないんだけど、エリック・サティはなんとなく避けてた」

「どうして?」

「美大から逃げるみたいにやめたのを思い出すから、かな」


CDショップで買ったサティのアルバムは、購入してからしょっちゅう聴くようになっていたけれど、睦くんは相当久しぶりに聴いたようだ。
懐かしそうに目を細めている。

逃げてないよ、とつぶやくと、彼がこちらを見たのが分かった。

「だって、絵を描くのをやめる理由が、ちゃんとあったじゃない」


息苦しくなって、描きたくないと思う前に、描くのをやめる。
それは、ある意味かしこい選択だったように思う。

その証拠に、睦くんは絵を描くのはやめたようだが、絵は嫌いではないようだ。
部屋のいたるところに、様々なサイズの絵が飾られていて。おしゃれなインテリアとして成り立っていて、センスにあふれていた。


まあ、部屋に入ってきた時にはもう睦くんも私も夢中でキスをしていて、ろくにちゃんと周りは見えていなかったのだけれど。
視界にちらちらと見えた飾られている絵が、思ったよりも多くて、まだ好きなんだなってほっとした。

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