Stockholm Syndrome【狂愛】


早くしないと、沙奈が声を発するかもしれない。


だから早く、彼を追い払わないと。


僕の焦りに反して友人はにっこりと明るい笑みを作り、交渉を続けようとする。


「菓子も買ってきたしジュースも買ってきたんだって。寒かったんだから十分くらい良いだろ?」


「勝手に来たんだろ。僕のことなんて放っといて早く帰ってくれ」


「そんなこと言うなよ。ただ、俺は」


「なぁ、頼むから」


「お前おかしいぞ?何が……」


「……早く帰ってくれよ!」


つい大声になって、我に帰って前を見る。


驚いた表情の友人が視界に入り、気まずくなって彼の足元に視線を下ろした。


……ナイフを持つ手が震えて、今にも取り落としてしまいそうになる自分にどこまでも嫌気がさす。


しばらく黙りこくっていると、ふっとその顔に影を落とし、友人は暗い声で囁いた。


「……まだあのこと、気にしてんのか」


胸をえぐられたような気がした。


血の気が引く感覚の中、脳内に途切れ途切れに思い起こされるあの日のあの光景。




……赤く、震える地面、耳をつんざく——。




「あれはお前のせいじゃない。あいつの……チアキの自業自得じゃねえか。お前は何も悪くないはずだろ」


顔に打ち付ける雨と、足元に転がった……。


「忘れろ。被害者はお前じゃねえか。お前のことを傷つけるだけ傷つけて、あんな、あんな女——」


友人の声が途絶え、視線が僕の足元へと向く。


そこに置いてあったものは。


「……ローファー?そんなのあったっけ」


「……帰れ」


「お前、もしかして中に誰か……」


「帰れ!」


友人の手を引き剥がし、力の限りに玄関の扉を閉めて鍵をかけた。


弾みで壁にかけていたコートや靴箱が揺れ、大きな音が辺りに鳴り渡る。


ナイフが落下し、高い金属音を立てた。


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