わたし、BL声優になりました
「あ、待って。えっと……白石さん? だっけ」
「はい。なんでしょう」
ゆらぎが初の収録を終えて、スタジオのロビーで赤坂の迎えを待っていると、帽子を目深に被り、マスクで顔の半分を覆った緑川に声を掛けられた。
「黒瀬は?」
「黒瀬先輩なら、休憩室でコーヒーでも飲んでいるんじゃないでしょうか」
「そっか。……なら、都合がいいな」
「はい?」
一瞬、緑川から嫌な空気を感じた。かと思うと、先ほどまでの優しげな態度が一転し、目付きは鋭さを増す。
「ちょっと来い」
「いや、でもオレ、赤坂さん待ってるんで……」
突然豹変した緑川の凄みの効いた声に、ゆらぎは、たじろぐ。
「は? 君は先輩の誘い断るの?」
「……そういうわけでは……」
どうしてこんな時に限って、赤坂さんも黒瀬先輩もこの場にいないのだろうか。
上手く立ち回れる自信が無い。
それに、これはどう考えても新人いびりというやつに違いない。
きっと、緑川という人物は、無名の新人が大抜擢されたのが気に食わないのだ。
「黒瀬には俺から連絡しておくから。用事が出来たから先に帰ったって」
緑川は、ゆらぎの返答も待たずに、一人先に外へ向かう。
このまま、緑川のことを無視して、黒瀬のいる休憩室へ逃げ込むか。
それとも大人しく彼に着いて行くか。
だが、じっくりと考えている暇は、ゆらぎには無かった。
何故なら緑川が外で既にタクシーを呼び止めて、顎先で『早く乗れ』と指示をしていたからだ。
きっと、大丈夫だ。
仮に着いて行ったとしても、理不尽な不満や文句を相手から言われるくらいで済むはずだ。
緑川とて、いくら何でも無抵抗の新人に手を出したりはしないだろう。
そんな希望的観測を胸に、ゆらぎは緑川が待つタクシーに乗り込んだ。