わたし、BL声優になりました
 時刻は午前一時を迎えようとしていた。

 初日の収録を終えてから、約五時間以上は経過している。

 ゆらぎは緑川に連れられて、都内某所の会員制ダーツバーを訪れていた。

「チッ……どうなってるんだよ」

 緑川は悪態を隠そうともせずに、カウンターテーブルに肘をついて、カクテルを下品にあおる。

 その目は完全に酒に呑まれていた。

「そう言われましても……」

「素人だって言わなかったか、お前」

「言いましたよ。ダーツなんてしたことないです」

「嘘つくなよ。じゃあなんで俺が負けるんだよ」

 緑川にダーツ勝負を挑まれてから、このやり取りを、かれこれ五回以上は繰り返している。

 原因は何度、勝負をしても緑川が負けてしまうからだ。

 ゆらぎは生まれてこの方、ダーツの経験は全く無い。

 基本的なルールすら、よく分かっていないまま、緑川に全勝するという快挙を成し遂げていた。

 目下、負け続けて完全にふて腐れてしまった緑川は、カクテルを何杯も呷っては、ゆらぎに不満をぶちまけている。

 帰りたい。
 今すぐにでも帰りたい。

 それが、ゆらぎの現在の切実なる心境だった。

「緑川さん、そろそろ携帯返して貰えませんか」

「駄目だ。俺が勝つまで携帯も返さないし、帰すつもりもない」

 緑川に携帯を取り上げられていては、誰かと連絡を取ることも出来ないし、帰ることも出来ない。

 黒瀬に至っては、緑川の嘘が散りばめられたメールを信じ込み、疑ってすらいない。

 ダーツバーに入店してから三時間経過し、そろそろ眠気も限界に近かった。

 そもそもの事の発端は、緑川がゆらぎに敵対心を抱いたことだった。

『黒瀬の相方はボクだって相場が決まってる。なのに、勝手に割り込まないでくれないかな』

 タクシーが目的地へ向かう道中の車内で、緑川は何の脈略も無しに突然そう言い放った。

 その言葉を聞いたとき、この人は役を取られたことに腹が立っている訳ではなく、黒瀬の隣を取られたことに、憤慨《ふんがい》しているのだと瞬間的に悟った。

 ということは、緑川さんは黒瀬先輩に好意を抱いているのか。

『勘違いしないで欲しいんだけど、黒瀬はボクにとっての演者のライバル。だから、新人の君なんかに邪魔されたくないんだよ』

『なるほど。では、黒瀬先輩に恋心を抱いてるわけではないんですね』

『は? 何言ってんの。ボクが好きなのは女の子だけだから』

 堂々と女性好きを公言するのも、正直どうなのか。
 しかし、事実がどうであれ、ゆらぎには何の関係もないことだ。

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