御曹司は偽婚約者を独占したい
「美咲?」
囁くように名前を呼ばれたけれど、顔を上げることもできない。
だって、エンゲージリングの間に合わせなんて、聞いたことがない。
確かに、パーティーで私を自分のフィアンセだと紹介するときに、私がエンゲージリングをしていれば、より信憑性が増すのかもしれない。
仕事に抜かりのなさそうな彼らしいといえば、彼らしいけれど、たったそれだけのために、こんなに大切な指輪を当たり前のように用意するなんて、やっぱり私には理解ができなかった。
何より、エンゲージリングは女の子の憧れだ。
近衛さんと出会うまで、もう数年、色恋沙汰に縁がなかった私だって、それなりにこのシチュエーションには憧れを抱いていた。
愛する人からの、一世一代のプロポーズ。
エンゲージリングは、そんな一生に一度の大切な思い出を彩る、特別なものだと思っていた。
それなのに……こんなの、悲しすぎる。こんな、事務的な渡し方をされるなんて思ってもみなかった。
もちろん、これは彼からのプロポーズでもなんでもないのだから、当たり前といえば当たり前だろう。
私だけが一方的に彼を好きで、彼は自分の仕事を成功させるためだけに、私にエンゲージリングを贈ったのだ。
……ううん、〝贈る〟なんて表現すら勿体無い。
彼は私に、エンゲージリングを〝買い与えた〟。
今、私が手に持っているショッパーバッグの中に入っているドレスや靴と変わらない。
仕事に必要なものだから買った、ただ、それだけだ。
このエンゲージリングに、特別な想いなんて、ひとつも篭っていないのだ。
まさか、こんなに悲しい気持ちになるなんて思ってもみなかった。