私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
同時刻。ゆりは、嫌な予感がしていた。今朝からずっと、警鐘のような胸騒ぎがしてならない。三条の別宅の、街を一望できる部屋の窓際に立ち、憂鬱な表情を街に下ろす。
「雪村くん――」
風間さんは見つかっただろうか――そう続く言葉を、ゆりは区切った。
雪村はまだ結と留火と共に風間の捜索に出ていた。
「私も行きたかったな。待ってるしか出来ないなんて」
もどかしい気持ちから、ゆりはため息を零した。
山を越え、幾つも町や村を越えて捜索するには、ゆりは足手まといだった。
喰鳥竜も騎乗翼竜の扱いもきちんと出来ないし、盗賊や山賊が出る危険性もある。ゆりに気遣って戦う余裕は、今の雪村にはなかった。
そこに、ドアを軽く叩く音がしてゆりは振り返った。
「開けるぞ」
声がして真正面にあるドアが開く、間空がひょっこりと顔を出した。
手に持ったお盆の上には、カップが二つ置いてあって、温かそうな湯気が立っていた。
「アルタイルだ。一息入れよう」
間空は明るい声音で言って、窓の前にあるソファにお盆を置き、両手にカップを持って、一つをゆりに差し出した。
ゆりはカップを受け取ると礼を言って、口をつける。
程よく温かい茶褐色の液体が、ゆりの胃袋をじんわりと暖めた。
「おいしい」
ゆりは呟いて、再び窓の外に視線を移す。不安そうな瞳を励ますように、間空はゆりの肩に手をかけた。
「大丈夫だ。きっと、見つけて帰って来るさ」
「はい」
ゆりは小さく頷いて、微笑を返した。その時だった。
「危ない!」
間空は叫んで、カップを放り投げ、ゆりを引き倒した。
勢い良く茶褐色の液体がゆりのシャツを濡らし、ゆりは間空に擁かれるように地面に伏した。
その瞬間、窓ガラスが激しい音をたてて粉微塵に割れ、ゆりと間空の真上を黒い影が飛んで行った。
「なに……?」
ゆりは愕然と呟いて、影が飛んで行った方向を見た。
ドア付近の壁に突き刺さったそれは、大きな槍だった。か細い人間の胴など真っ二つに切り離しそうなほど、巨大な槍だ。
ゆりは反射的に立ち上がろうとし、間空が腕に力を込めて、それを止めた。
「伏せていなさい」
緊迫した声音に、ゆりは頷く。間空は顎で指示を出した。
ゆりは這いつくばって窓際の壁まで行き、背を預けて蹲った。
間空は立ち上がると、窓の外を見据える。
窓の外から大きな飛翔音と共に、騎乗翼竜(ラングル)が現れた。
滑空してきたそれらは、背に鎧を着た兵士達を乗せ、半数の数十匹が屋敷を取り囲み、残りの半数は庭や街に降り立つと、一斉に兵士達が降り立って屋敷に雪崩れ込んで来た。
別宅を取り囲んだ騎乗翼竜の一匹、その背に跨った屈強な男が、緑の目を光らせ、間空を睨み付けた。彼は、この隊の指揮を任された三関だった。名を、シジャクという。
「三条間空殿とお見受け致す! この屋敷は完全に包囲されている。抵抗することなく、速やかに捕縛されたし!」
シジャクは可能な限り威厳のある声を作って張り上げた。間空は彼を正視する。そして、シジャクよりも遥かに威厳のある声音で声高に叫んだ。
「如何なる罪で捕縛すると言うのか! 不可侵権をお忘れか!」
間空の気迫に押され、シジャクは少したじろいだ様子を見せたが、負けじと声を張る。
「不可侵権は王が許可した事! その方が一味、風間により、王の受諾なく美章へ進攻せしめたその罪により、王御自ら破約なされた!」
シジャクは更に声を轟かせた。
「神妙に縛につけ!」
ゆりくん――ゆりの耳に、シジャクの怒号に交じって間空の囁きが届いた。
ゆりは間空を見上げる。間空はシジャクから視線を逸らす事なく、そっと一枚の呪符を床に落とした。
ひらりと滑り込むようにゆりの足元に落ちたそれを、無意識にゆりは取り上げた。
「穴蔵へ逃げなさい。ここは私が足止めするから」
忍び声で言った間空の声音は、ひどく穏やかで、ゆりの不安をいっそう駆り立てた。ゆりは小さく首を振る。
「行ってくれ。そして、三条の者と出会ったら、彼らをつれて行って欲しい」
そうだ、とはっとした。三条家の者でも、転移の呪符は限られた者しか所有出来ないのだった。
ゆりは腹を決めたように、こくりと頷く。
目の端で見ていたのだろう。間空がふとゆりを瞥見して微笑んだ。
「結縛四方(ケツバクシホウ)・連縛(レンバク)!」
間空が叫ぶが速いか、大窓から見える三体の騎乗翼竜と兵士の胸、両足、両腕、そして首に、長方形の結界が現れた。
「動けなかろう」
間空が言うように、シジャクら三人と騎乗翼竜はぴくりとも動けない。
「今のうちに」
「はい」
間空に促されて、ゆりは立ち上がり、一目散にドアに向って走った。
シジャクは引き止めたそうに唸ったが、喉が圧迫され、声にはならなかった。
間空は彼らを射竦める。
「さて。このまま両翼の動きを封じて墜落させても良いし、貴様らの臓器を潰しても構わんが……貴様らには聞きたいことがある」